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青森地方裁判所弘前支部 昭和61年(ワ)218号 判決 1993年5月11日

原告

水木強二

右訴訟代理人弁護士

西村雅男

被告

右代表者法務大臣

後藤田正晴

右指定代理人

平尾雅世

外六名

主文

一  被告は原告に対し、金一二〇万円及びこれに対する昭和六一年一〇月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを八分し、その七を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は原告に対し、金九〇六万円及びこれに対する昭和六一年一〇月二八日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、業務上横領及び二件の虚偽有印公文書作成の罪で起訴され無罪判決を受けた原告が、検察官の違法な起訴により損害を被ったとして、国家賠償法(以下「国賠法」という。)一条一項に基づき慰謝料及び刑事事件に要した弁護士費用の賠償を求めた事案である。

(無罪判決確定に至る経緯等)

一原告の地位(当事者間に争いがない。)

原告は、昭和四一年一二月から昭和五三年一二月まで青森県南津軽郡平賀町の町長を務め、地方自治法の規定により併せて同町内にある大光寺財産区(以下「財産区」という。)の管理者となり、また昭和四二年一月から昭和四九年一二月までの間、平賀町森林組合(以下「組合」という。)の組合長を兼務していた。

二告発

青森県警察本部は、平賀町を明るくする会会員代表と称する成田義郎から、原告を業務上横領及び背任の罪で告発する昭和四九年一一月二七日付告発状を受理した。告発事実の内容は必ずしも明確ではないが、捜査に当たった警察から検察庁への送致事実によれば、その要旨は、以下のとおりである(<書証番号略>)。

被告発人(原告)は、

1 組合組合長の職にあった昭和四五年六月ころ、組合が黒石営林署(以下「営林署」という。)から大光寺官行造林の立木一三〇〇万円相当の払下げを受け、これをAを仲介人として弘前木材株式会社(以下「弘前木材」という。)へ一四一七万五〇〇〇円で転売した際、Aを介し、弘前木材から額面三六〇万円相当の約束手形を受け取って現金化し、内二〇〇万円を組合のため業務上預かり保管中、そのころ、同町内において、これを自己の用に供する目的で着服して横領した

2 組合長の職にあった昭和四六年六月ころ、組合が営林署から大光寺官行造林の立木一五八〇万円相当の払下げを受け、これをAを介して米沢正人へ一六五〇万円で転売した際、Aを介して米沢正人から現金一三〇万円を受け取り、組合のため業務上預かり保管中、そのころ、同町内において、これを自己の用に供する目的で着服して横領した

3 組合組合長に在職中、組合長は組合を代表して理事会の決定により業務を処理する任務を有していたにもかかわらず、組合理事会の承認を得ずに、本町山林組合から組合が借金をしたことの礼金として、昭和四六年七月二七日一〇万円を支出したほか、本町山林組合を函館市に慰安旅行させ、同年八月一八日その費用二一万二五九五円を支出して、それぞれ組合長の任務に背いた支出をし、もって組合に対し、同額の損害を与えた

ものである。

三警察の捜査

青森県警察本部は、右告発状を所轄の黒石警察署へ回付し、同警察は捜査を開始し、告発人成田義郎、仲介人A、同佐藤英司、買受人弘前木材の次長佐藤亮二郎、買受人米沢正人、組合専務理事芳賀幸治、組合書記太田国昭、組合監事中島文藏、組合非常勤理事木村昭一、組合主事白戸喜代一、営林署経理課長木村勝虎などの関係者及び原告を取り調べた(<書証番号略>)が、告発事実を確定するに至らず、昭和五〇年九月一六日、青森地方検察庁弘前支部に対し、「供述人の供述に相反する面が多く、かつ、証拠となる簿冊・書類が存在しなかったりして、告発内容につき明らかにすることができなかったので相当処分願いたい。」旨の意見を付して、前記告発事件を送致した(<書証番号略>)。

四検察の捜査

右告発事件の送致を受けた同地検弘前支部長検事M(以下「M検事」という。)は、昭和五一年三月末ころから捜査を開始し、同年三月三〇日、青森銀行津軽支店に、弘前木材が仲介人Aに渡した弘前木材振出の約束手形の写しの送付を依頼し(<書証番号略>)、同年四月八日これを入手し(<書証番号略>)、同日、営林署職員木村勝虎から昭和四五年度及び昭和四六年度の主産物処分書類の任意提出を受けてこれを領置する(<書証番号略>)とともに、弘前木材社員木村繁から弘前木材の元帳などの任意提出を受けてこれを領置した(<書証番号略>)。

そして、M検事は、告発人成田義郎(取調日昭和五一年四月二日・<書証番号略>)、弘前木材社員木村繁(取調日同月八日・<書証番号略>)、弘前木材次長佐藤亮二郎(取調日同月一二日・<書証番号略>)、営林署職員木村勝虎(取調日同月一六日・<書証番号略>)、仲介人A(取調日同月三〇日・<書証番号略>)、秋田相互銀行弘前支店長小柳寛(取調日同年五月一日・<書証番号略>)、元青森銀行津軽支店行員佐藤幸夫(取調日同月二七日・<書証番号略>)、買受人米沢正人(取調日同月二八日、同年六月一〇日・<書証番号略>)、仲介人佐藤英司(取調日同年五月三一日・<書証番号略>)、元組合主事白戸喜代一(取調日昭和五二年四月二三日、同月二四日、同年五月一二日、同年六月六日、同月一〇日、同年七月六日、同月一二日・<書証番号略>)、元平賀町職員水木修一(取調日同年六月七日、同月二一日・<書証番号略>)、組合職員太田国昭(取調日同年六月四日、同月八日、同年七月八日、同月一六日・<書証番号略>)、元組合職員須藤衷和(取調日同年六月八日・<書証番号略>)、同太田由紀子(取調日同月八日、同月一〇日・<書証番号略>)、元組合専務理事芳賀幸治(取調日同月九日、同年七月九日、同月一五日・<書証番号略>)、元組合監事斉藤洋(取調日同年六月一〇日、同年七月七日・<書証番号略>)、平賀町職員竹村繁太郎(取調日同月六日・<書証番号略>)ら関係者を取り調べるとともに、原告を取り調べた(取調日同月一二日、同月一三日、同月一九日・<書証番号略>)。

また、M検事は、同年六月二日、原告宅、米沢正人宅及び平賀町役場の捜索を実施し、原告宅及び米沢宅からは証拠物を発見できなかったが、平賀町役場から関係書類を押収した(<書証番号略>)。

五起訴及び刑事公判の経緯(いずれも争いがない。)

1 M検事は、昭和五二年七月二二日、青森地方裁判所弘前支部に対し、原告を次の事実によって在宅のまま起訴(以下「本件起訴」ともいう。)した。

「第一 被告人水木は、

一  平賀町森林組合長として同組合の事務一切を統括していたものであるが、昭和四五年八月三日ころ同組合所有の立木八、六二九本を弘前木材株式会社に代金一八二五万円で売却して、右代金を同社取締役社長緑川大二郎振出しなどの約束手形一一通で受領し、これを同組合のため業務上預かり保管中、Aと共謀のうえ、うち額面一〇〇万円(FD〇七四七八)、額面一五〇万円(FD〇七四七九)、額面一四〇万円(FD〇七四八〇)の三通を、同月五日ころ、ほしいままに、大鰐町において、自己の用途にあてるため、着服して横領した

二  平賀町大光寺財産区管理者として、同財産区の財産管理事務一切を管掌している平賀町長であるが、同町出納室長竹村繁太郎と共謀のうえ、昭和四六年七月六日ころ同町大字柏木町字藤山二七の一所在の平賀町役場において、真実昭和四六年七月六日大光寺財産区が平賀町森林組合に対し、杉外立木一三、七〇九本を売渡した事実がないのにかかわらず、行使の目的をもって、ほしいままに、白紙に売買契約書と題して、昭和四六年七月六日杉外立木一三、七〇九本を代金一五八〇万円で、大光寺財産区管理者平賀町長水木強二と同町森林組合監事斎藤洋との間に売買契約を締結し、売渡人右平賀町長買受人右斎藤洋と虚偽の記載をなしたうえ、同町長名下に同町長職印を押捺し、もって右町長の職務に関し印章ある同町長作成名義の虚偽公文書一通を作成した

第二  被告人水木は平賀町大光寺財産区管理者として、同財産区の財産管理事務一切を管掌している平賀町町長、被告人芳賀は平賀町森林組合専務理事であるが、両名共謀のうえ、昭和五〇年九月ころ、平賀町大字柏木町字藤山二七の一所在の同組合事務所において、真実昭和四六年七月六日ころ右平賀町長が同組合に対し、杉外立木一三、七〇九本の委託販売契約をした事実がないのにかかわらず、行使の目的をもって、ほしいままに、同組合の用紙を使用し、同用紙に委託販売契約書と題して、昭和四六年七月六日右立木を代金一五八〇万円で右平賀町長と同組合との間に委託販売契約を締結し、委託人大光寺財産区管理者平賀町長水木強二受託人平賀町森林組合監事斎藤洋と虚偽の記載をなしたうえ、同町長名下に同町長職印を押捺し、もって右町長の職務に関し印章ある同町長作成名義の虚偽公文書一通を作成した

ものである。」

2 青森地方裁判所弘前支部は、昭和五二年一〇月三一日から昭和五九年九月二〇日まで四一回にわたり公判期日を開き、その間検察官が公訴事実第二について予備的訴因として、犯行日時を昭和四九年九月ころから昭和五〇年二月中旬ころまでの間とする旨の訴因変更請求をなしたのに対し、これを認めたうえ、昭和五九年九月二〇日、原告(被告人)に対し、公訴事実第一の一(業務上横領)、第一の二(虚偽有印公文書作成)、第二(虚偽有印公文書作成)の主位的訴因について、いずれも無罪の判決をし、第二の予備的訴因について有罪の判決をした。

3 右判決のうち、無罪部分は検察官が控訴をせずに確定し、有罪部分については原告が控訴した。仙台高等裁判所秋田支部は、昭和六〇年五月二一日から昭和六一年六月一七日まで八回にわたり公判期日を開き、同日、原告に対し、一審の有罪判決を取り消して無罪の判決を言い渡した。右無罪判決は、検察官が上告をせず、同年七月一日の経過をもって確定した。

(争点)

一検察官の本件公訴提起が違法であったか否か。

1 原告の主張

被告の公権力を行使する公務員であるM検事は、通常の検察官が行うべき捜査を怠り、真相を十分究明せず、自己の常識と称する独断と最も忌避されるべき予断をもって捜査に当たり、無実の原告につき違法に公訴提起した。M検事の本件起訴は、次のとおり、甚だ不当かつ疎漏であった。

(一) 公訴事実第一の一(以下「本件業務上横領」という。)について

M検事が原告を本件業務上横領の罪で起訴した根拠は、「起訴状記載の額面合計三九〇万円の約束手形三通を原告の指示で着服し、これを換金した金員のうち二〇〇万円を原告に交付した。」とするAの供述とAからその旨を聞いたとするB(以下「B」という。)の供述のみである。現に、黒石警察署は、捜査の結果、原告とAの供述は水掛け論で客観的証拠はなく、不起訴相当という意見であった。

しかるに、M検事は、原告の弟が黒石警察署の次長であるとの誤った情報を確認することもなく信じ込み、合理的理由がないのに警察に対して不信感を抱き、警察に捜査協力を求めなかったばかりか、警察の入手した証拠にも必要以上の不信感を抱き、その捜査を信用しなかった。そして、検察官自ら独自の捜査をなしたものの、十分な裏付捜査を怠り、単にAの供述のみに基づき、公訴時効完成直前に原告を違法に起訴した。

M検事の本件起訴が違法である理由は、以下のとおりである。

(1) Aの供述内容の不合理性

本件業務上横領の事実の直接証拠であるAの供述は、次のとおり、不合理であり、信用できないものであった。

① A供述の変遷

Aの供述は、昭和四九年一〇月三一日付及び昭和五〇年二月一二日付司法警察員に対する各供述調書(以下司法警察員に対する供述調書を単に「員面調書」という。)並びに昭和五一年四月三〇日付検察官に対する供述調書(以下検察官に対する供述調書を単に「検面調書」という。)を対比すると、公訴事実第一の一記載の立木売買の介入へのBの関与の程度など重要な部分について、大きく変遷している。

② Aが弘前木材から手形を受領した日と共謀の成否

Aは、検面調書において、弘前木材から同社振出の約束手形八通を交付されたのは昭和四五年七月二九日ころであり、同社から北秋木材株式会社(以下「北秋木材」という。)振出の約束手形三通を交付されたのは、同年八月三日ころであると述べ、弘前木材振出の約束手形を受領した後、町長室に赴き手形を渡したところ、原告から「俺が営林署から払下げを受ける時、木材の搬出に道路が悪いので道路費用がかかるから二〇〇万円まけさせたのだから、俺が二〇〇万円もらう。それで売主の名前を組合とするとまずいので、お前(A)の名前を売主としてやれ。お前にも一〇〇万円位やる。Bには三〇万円位、弘前木材と青森銀行津軽支店に各一五万円ずつやれ。」と指示されたなどと述べている。しかしながら、青森銀行津軽支店が右手形に支払保証をしたのは昭和四五年七月三一日であり、同日以前に右手形がAに交付されることはありえず、またAと弘前木材との間では同年八月三日に売買契約書が取り交されており、証拠によると、弘前木材振出の約束手形八通は右同日にAに交付されたと認められるから、Aの右供述は、時間的前後関係に矛盾があり、首肯しがたい。

また、Aは、昭和五〇年二月一二日付の員面調書において、弘前木材に売却した立木はAが組合から買い受けたものであるが、昭和四五年七月二五日ころ原告と売買契約をした際、右のような指示を受けたとも述べているが、手形の受領もない右時点で弘前木材や青森銀行の名前を出したり、いくらで処分できるか不明なのに自己の取分を二〇〇万円と決め、BやAの取分についてまで指示することは考えられず、右供述も不合理である。

③ 組合を受取人とする手形の振出

Aは、横領の事実を隠すため売買契約書の売主をAとするよう原告から指示され工作したと述べるが、それならば何故肝心な支払手形の受取人を誰にするかについて原告が指示せず、漫然と組合を受取人とする手形を受領したのか理解しがたい。

④ Aが弘前木材振出の手形一一通を渡した相手方

Aは、検面調書において、右手形一一通を町長室で原告に渡したと述べるが、Aの右供述以外に直接証拠はなく、Aの供述自体も、昭和四九年一〇月三〇日付員面調書ではこれをBに渡したとしていたのに、昭和五〇年二月一二日付員面調書では誰に渡したか明らかにしておらず、更に検面調書でこれを原告に渡したと変遷しており、右供述の変遷については格別納得しうるような説明はなされていない。また、組合では代金や支払手形の受領は主にBが担当していたのであり、弘前木材との交渉等にもBが相当程度関与したと思われるのに(検察官はこの点に関する十分な捜査をしていない。)、何故Aが組合長である原告に手形を全て渡したのかについても合理的な理由が見いだせない。

⑤ 原告に渡されたとされる約束手形のその後の動き

昭和四五年八月三日及び四日に全ての手形が原告に渡されていたとすると、何故Bがこれを同月七日と一〇日の二回にわけて青森銀行平賀支店で割引きを受けたのか、また、右約束手形一一通に組合組合長理事水木強二の記名印と組合長の職印を押捺したのは誰か、Aが弘前信用金庫大鰐支店で現金化した弘前木材振出の約束手形三通が、組合の裏書がなされた後、誰からAに渡されたのかなど、原告に渡ったとされる約束手形のその後の動きが全く未解明である。

⑥ 原告がAに指示した発言内容

原告が営林署との払下交渉において代金の減額を受けたとする点は、Bも右交渉に携わって知っていたことであるから、AがBから聞き及んで知っていた可能性があり、Aの供述の信用性を高めるものとはいえない。

また、Aは、原告がAに対し、原告自身とAの取分の他、B、弘前木材及び青森銀行津軽支店にまで金を分けるよう指示したと述べるが、原告がこれらの者へ金員を分配する理由は明らかではなく、BがAから三〇万円を受領したことを認めた(ただし、Bは右金員の趣旨について曖昧な説明しかしていない。)以外には、金員分配の裏付けもない。

⑦ 原告の二〇〇万円の受領

原告がAから二〇〇万円を受領したことは、Aの供述以外にこれを裏付ける直接及び間接的証拠はなく、右事実をAから聞いたとするBの供述は、後述のように信用性に乏しい。④のとおり、Aは、昭和四九年一〇月三〇日付員面調書では、原告がAから受領した二〇〇万円を直ぐにBに渡したと述べながら、その後格別の理由もなくこれを否定する供述に変更したことをも考えると、Bの供述はAの右供述を裏付ける証拠とはいえない。

(2) Bの供述の不合理性

また、Aが原告に二〇〇万円を渡したことをAから聞いたとするBの供述も信用性がない。即ち、Bの供述する原告の発言内容は、いずれもAからの伝聞であり、また、Bは、弘前木材との立木売買契約についてはAが売主になっていたことは勿論その代金額も知らず、組合に合計一四一七万五〇〇〇円の手形が入金されたことからその金額で売られたものと考えていたと述べているが、Bが組合の主事であり林産品関係の直接の担当者であったこと、Aとは親密な関係にあり、Bも弘前木材との売買交渉に深く関与し、同社との間の手形割引料の負担問題については詳細な供述をしていること、右立木の払下げとその処分が組合にとって重要な業務であったことなどを考えると、Bが右契約の内容を知らなかったとか、原告からAへの前記指示内容を後から知ったとは、到底考えられず、Bの右供述の信用性には疑問がある。

したがって、Bの右供述がAの前記供述の真実性を裏付けるとはいえない。

(3) M検事の捜査懈怠等

M検事は、そのほかにも、以下のとおり、通常の検察官が行うべき範囲の捜査を怠り、本件業務上横領事件の真相を十分に究明しなかった。

① 原告の町長以外の役職及び職務内容及び執行方法並びに官行造林取引におけるBの独断専行

原告は、昭和四五年の二期目の平賀町町長就任以降、漸次兼職が増加していき、昭和五二年当時、同町長の他、平賀町森林組合長、大光寺財産区管理者はもとより、青森県市町村林野振興対策協議会会長、青森県農業普及事業協議会会長、中南地域米生産総会改善協議会会長、中南黒建設振興会会長、中弘南地区雇用対策協議会副会長、中弘南地区自衛官募集連絡協議会副会長、尾上・平賀・田舎館米生産流通対策協議会会長、平賀町観光協会会長その他二九役に及ぶ役職を兼務しており、決裁案件は日に三〇〇〇件に及ぶこともあった。原告は、事務的な事柄を全て部下に委ねており、官行造林の取引など組合の業務については、組合主事のBが独断専行していたのであって、原告は言われるまま盲判を押して決裁していたのが実情であった。

しかるに、M検事は、公訴事実記載の日時において、原告がいかなる役職に就き、どの程度多忙であったのかなどの事情の捜査を怠り、かつ官行造林の立木取引の実態に関し、組合職員にこの点に関する事情聴取をするなどの必要な捜査を怠り、単にAとBの供述のみに基づき、官行造林の立木取引は原告が独断専行していたものと認識してしまった。その捜査態度は、真相を究明しようとするものではなく、原告を起訴するのに都合の良い証拠のみを拾い集めようとするもので、公正な捜査とはいい難い。

② Aが関与した取引の仲介手数料

Aは、組合と弘前木材との立木の売買を仲介して契約を成立させながら、当然に発生し正当に取得できる仲介手数料を要求しなかった。この点につき、M検事は、不動産ブローカーであるAの仲介行為の実態、仲介手数料の授受について、何ら解明することなく、自己に都合の良い解釈をし、Aは横領した金員の一部を得たので満足したという通常の経験則からは理解し難い判断をした。

真実は、AとBとが共謀して、不正工作を行ったため、仲介手数料が発生しなかったと考えられるが、M検事は、必要な捜査を怠ったため、真相を究明できなかった。

③ A及びBの生活状況、両者の関係など

AとBは、いずれも妻以外の若い女性と同棲し、Aは東奥信用金庫などに多額の借金を抱え、金遣いも荒く、Bも組合関係者に借金をし、長期無断欠勤を繰り返す不良職員で、起訴猶予の犯歴もあり、到底信用しうるような人物ではなかった。また両名の間には深い交際があり、AとBの供述以外の関係証拠から合理的に推論すれば、AとBにこそ横領の動機があり、本件業務上横領の犯行は両名が共謀のうえ行ったものであり、そして、これによって得た合計三九〇万円の約束手形にBが組合の裏書をし、Aがこれを東奥信用金庫大鰐支店で割引を受けて換金し、Aの同金庫に対する負債八〇万円ないし一〇〇万円を返済し、残りの利益を山分けし、それぞれの借金の返済や同棲していた女性のためなどに使用したものと考えられる。

しかるに、M検事は、通常の検察官が行うべき補充捜査を怠り、AやBの収入、生活状況、勤務態度、信用状況、交友関係の捜査をせず、AとBの供述のみを盲信し、真相の究明を怠った。

(4) 原告の不利益事実の承認に関するM検事の認識

原告の昭和五二年七月一三日付検面調書には、「弘前木材が森林組合に支払った手形三通の合計三九〇万円の事ですが、それは三九〇万円を仲介人であったAらに仲介料その他の謝礼としてやったような記憶が思い出されました。」との供述が記載されているが、M検事は、右供述につき、原告がAに対し、Aのみならず、Bにまで利益を分配しろと指示したことを認めたものと理解してしまった。M検事は、自己の希望的観測を存在すると思い込む性癖を有するが如くである。

(二) 公訴事実第一の二(財産区と組合との間の昭和四六年七月六日付売買契約書に関する虚偽有印公文書作成)について

M検事が、原告を右虚偽有印公文書作成の罪で起訴した根拠は、①米沢正人に対する立木(以下(二)において「本件立木」という。)の売買契約がなされた昭和四六年七月六日当日に原告の指示で財産区と米沢との間の売買契約書が作成されており、原告が米沢に対する売主が財産区であると認識していたと考えられること、②財産区が営林署から払下げを受けた立木を立木のまま転売すると払下条件に違反することになるので、これを隠蔽するために、財産区から組合に対する売買契約書を作成する必要があり、原告には動機が存したこと、③米沢は本件立木の代金を組合にではなく財産区に支払い、これを受領した竹村繁太郎も財産区への入金として処理したこと、④原告及び竹村は、検察官に対し、本件を自白していたことである。

しかしながら、M検事は、以下に述べるとおり、本件立木取引の実態を真剣に解明する努力を怠り、動機に関する払下条件の理解が不十分なまま、領収書等の形式的証拠と固有の思い込みから強引な取調べにより自白調書を作成し、原告を起訴したものであって、本件公訴提起は違法である。

(1) 従前の官行造林処分の実態と組合の赤字解消策など

米沢への本件立木の売却は、昭和四二年以降の財産区地内の官行造林払下げの一環としてなされたものであるが、昭和四二年から昭和四五年までは一貫して財産区から組合を経由する形態で立木が処分され、その間に生ずる差益を当時財政状態が逼迫していた組合に取得させることにより、赤字を解消しようとしていたものであり、その事情は昭和四六年七月当時にも変化はなかった。したがって、本件でも本来財産区から組合を経由する形態の契約書が作られるべきであった。

しかるに、右当時、前年まで払下立木の処分を扱っていた組合主事のBが長期にわたって欠勤していたため、事情に精通しない原告が、営林署と財産区の間の売買契約書を参考にして、これもまた担当外である竹村に対して契約書の作成を口頭で指示し、竹村は誤って実際の取引と異なった契約書を作成したものに過ぎず、原告は竹村を信用して、それに盲判で決裁印を押したに過ぎない。

M検事は、右のような官行造林処分の実態に関する捜査を怠った。

(2) 売買代金の会計上の処理

米沢が支払った立木代金は、一旦は財産区に入金されたが、その後間もなく差益の七〇万円といわゆる民収分の七九〇万円(訴状に七九〇万円とあるのは誤記と認める。)が組合の会計に振り替えられ、会計上、前年までと同様組合を経由した売買と同じ処理がなされた。

しかるに、M検事は、代金の受領時に作成された財産区の領収書に固執し、前記のような官行造林処分の実態の把握を誤った。

(3) 売買の相手方に関する米沢の認識等

本件立木取引の当事者である米沢は、本件立木の売主を財産区であると明確に認識していたわけではなく、単に町長と取引をし、町長から買ったという意識が強かった。また、通常の補充捜査を行えば、財産区の組織の実態は内実を伴わず、単に形式上存するだけで、組合職員がその実務を取り扱っていたことは容易に判明したはずである。

しかるに、M検事は、本件立木取引の真の契約当事者の解明を怠り、財産区や組合の組織並びに関係者のこれらに対する認識について事情聴取することなく、関係者は財産区と組合の区別がついているものと軽信し、自己に好都合に役場即ち財産区であるとの独自の論法を前提に、本件公訴事実を組み立てた。

(4) 動機

原告の自白調書には、検察官のとらえた前記のような動機と同旨の記載があるが、契約書の記載内容に照らすと、組合を経由した形態をとっても立木のままの転売であることは明らかで、払下条件違反の隠蔽にはならない。また払下条件違反を隠蔽するのなら、財産区と米沢との間の売買契約書を作成すること自体が不合理となる。

M検事は、動機に関する払下条件違反の内容を十分理解しないまま、本件起訴をした。

(5) 財産区の組織、議決及び執行方法

M検事は、財産区の組織、意思決定方法及び執行方法について、通常の検察官なら行うべき解明を怠り、単純にAやBの供述から、原告が議決機関の決定もなく勝手に執行行為を行っているものと思い込み、本件を原告の独断専行と盲信し、独善的思考で論理を組み立て、本件起訴をした。

(6) Bの独断専行及びAとの関係

組合の活動は、Bが独断専行しており、また、BとAは、密接な関係にあったが、これらの点について検察官が捜査をしなかったのは、違法な捜査の懈怠である。

(7) 立木の処分に関する理事会の承認

営林署による立木の払下条件は、立木のままの処分を禁止するものであったが、従前伐採して処分するとBらの横流しが原因で、組合に利潤が発生していなかったので、組合理事会は、立木のままでの処分を承認していた。検察官が、この点についての捜査をしなかったのも違法な捜査の懈怠である。

(8) 原告及び竹村の自白調書の証拠価値

原告と竹村の自白は、M検事から、米沢が代金を財産区に支払った旨の領収書と財産区と米沢間、財産区と組合間の二通の売買契約書を示され、いずれの契約書が虚偽であるかの供述を求められ、原告らは、その限りにおいて、財産区と組合間の契約書を虚偽と答えるほかはなかったため、なされたものである。

また、M検事は、竹村が調書の内容に異議を述べるや、立ち上がって大声で「黙れ、黙れ」といい、原告には「田中角栄総理大臣をぱくった人はわしの友人である。田舎の町長くらいは朝飯前にやる。」「逮捕するぞ。」などと恫喝して、原告や竹村の言い分を聞かず、自白調書に署名押印させたものである。両名の自白調書は、右のような違法な捜査により得られたものであるから、右自白調書の供述をいずれの契約書が虚偽かの判断に結び付けるのは相当ではない。

(三) 公訴事実第二(財産区と組合との間の昭和四六年七月六日付委託販売契約書(以下「本件委託契約書」という。)に関する虚偽有印公文書作成の罪)について

M検事は、前記のとおり、米沢が昭和四六年七月六日購入した杉外立木一三七〇九本の契約に関し、財産区から米沢に売買されたのが正しいものと思い込み、それ以外の契約書は全て原告が偽造させたものと決め付け、本件起訴をした。

しかしながら、同検事は、以下のとおり、当該取引の実態を解明する努力を怠り、違法な公訴提起をした。

(1) 犯行日時の特定について

M検事は、公訴事実第二の虚偽有印公文書作成に関し、犯行日時を当初は昭和五〇年九月ころとし、その後予備的訴因として昭和四九年九月ころから昭和五〇年二月中旬ころまでの間とする訴因の変更請求をしたが、右訴因の変更は、ただ一通の契約書作成の時期を特定できず、実に一年間の幅をもたせ、その中間を抜いた八か月間という極めて特定不十分な形態で、裁判所に審理を求めたものであって、この点で本件の捜査は明らかに杜撰であった。

なお、本件委託契約書作成の契機は、平賀町町議会議員加藤東一郎等野党議員が昭和五〇年九月の同町議会で組合専務理事芳賀幸治を追及したことであり、その限りでM検事が本件委託契約書の作成日を当初昭和五〇年九月ころとしたのは正しいが、同検事は、昭和五〇年九月に作成された右文書が昭和五〇年二月一五日に司法警察員成田勇作の領置した昭和四六年度契約書綴一冊の中に綴られていた事実に気づかず、何故そのようになったかに関し、なんら解明の努力をしなかった。

(2) M検事の捜査懈怠

M検事は、財産区と米沢との間の昭和四六年七月六日付売買契約書と財産区の米沢宛領収書を盾に、原告に本件委託契約書を嘘の契約書と自白させたのみで、背後にある真相を解明すべき努力を怠り、通常の検察官であれば行うべき補充捜査を自らあるいは警察に命じて行わなかった。通常の補充捜査が行われれば、①財産区の組織の実態は内実を伴わず、単に形式上存するだけで組合の職員がその実務を取り扱っていたこと、②組合の活動はBが独断専行していたこと、③BとAとは密接な関係があったこと、④当該取引当時、Bは出張と称しながら長期の無断欠勤中であったこと、⑤そのため現場の実務に精通していなかった原告が、同じく実務に不案内な竹村に契約書の作成を命じたため、誤った売買契約書が作成されたこと、⑥右取引対象物件は、営林署から払下げられた大光寺官行造林で、昭和四二年から昭和四六年までの継続事業に係る立木であったこと、⑦右立木の取引から生ずる利益は組合の赤字補填に充当されていたこと、⑧営林署からの払下条件では立木のままの処分が禁じられていたが、伐採してからの処分では利潤が発生しなかった(Bらの横流し行為が原因である。)ため、組合理事会が立木のままの処分を承認したこと、⑨財産区と組合との法律関係は、関係当事者においてその認識や法的理解が明確ではなかったこと、⑩関係者は、受託事業の実態、委託販売、委託生産等の用語を用いていたこと、⑪財産区作成の昭和四五年六月二二日付及び昭和四六年五月二八日付の黒石営林署長宛て「官行造林立木の購入及び随意契約について」と題する各書面にも、委託、委託契約の文言が存すること、⑫昭和五〇年の平賀町町議会での加藤東一郎議員の追及質問も、財産区と組合との取引は委託販売であることを前提としていることなどの事実が容易に判明したはずである。かかる諸事実を明確にすれば、本件のような不当な起訴は行いえなかったはずである。

(3) 動機について

本件委託契約書作成の動機について、検察官は、立木のままの処分が営林署の払下条件に違反することから、これを隠蔽するためであるととらえているが、委託販売であっても、立木のままの処分であることに変わりはなく、払下条件違反は隠蔽できないから、そのような動機の理解は誤りである。

(4) 原告の自白調書及び芳賀の供述調書の証拠価値

原告の自白調書及び芳賀の供述調書は、M検事が両名の言い分を聞かず、一方的に自分の考えを押しつけ、原告については前記(二)の(8)で述べたような取調べを行い、芳賀についても、当時脳内出血で通院中であった同人に対し、検察官の言い分を聞かないと勾留が長くなるなどと申し向けるなど、強引な取調べにより作成したものであるから、右供述調書を本件公訴事実を起訴するか否かの判断の資料とするのは不当である。

2 被告の主張

検察官の本件各公訴提起には、違法性はない。

(一) 検察官の公訴提起の違法性判断基準について

刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに公訴の提起が違法となることはない。公訴の提起は、検察官が裁判所に対して犯罪の成否、刑罰権の存否につき審判を求める意思表示であるから、起訴時あるいは公訴追行時における検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、起訴時あるいは公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りる。したがって、検察官の公訴提起が国賠法上違法とされるのは、起訴時における証拠資料を総合勘案して有罪と認められる嫌疑があると判断した検察官の証拠評価及び法的判断が著しく合理性を欠くことが明らかである場合、即ち、証拠の評価について通常考えられる検察官の個人差を考慮にいれても、なおかつ行き過ぎて、著しく合理性を欠く場合をいうと解すべきである。

また、公訴の提起時において、検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集しえた証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば、公訴の提起は違法性を欠くのであり、公訴の提起後その追行時に公判廷に初めて現れた証拠資料であって、通常の捜査を遂行しても公訴の提起前に収集することができなかったと認められる証拠資料をもって公訴提起の違法性の有無を判断する資料とすることは許されない。そして、検察官が通常要求される捜査を遂行すれば収集しえた証拠資料とは、検察官が起訴時までにこれらの証拠について収集しなかったことに職務上の義務違反があると認められる場合、即ち、通常の検察官において、公訴提起の可否を決するに当たり、当該証拠が必要不可欠と考えられ、かつ当該証拠について収集することが可能であるにもかかわらず、これを怠った等特段の事情が認められる場合の証拠資料に限られる。したがって、公判審理の過程で弁護側申請の証拠として初めて顕出された証拠資料や、公判に至って被告人が主張を始めた新たな弁解や捜査段階と異なる供述に対する補充捜査の結果収集された証拠資料等は、起訴前に通常要求される捜査を遂行すれば収集しえた証拠資料とはいえないから、国賠法一条一項の違法性の有無を判断する資料とすることはできない。

(二) 公訴事実第一の一(業務上横領)について

公訴事実第一の一については、起訴時における各種の証拠資料から合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があった。

(1) 本件起訴当時の客観的証拠によると、①組合は、昭和四五年、財産区が営林署から払下げを受けた杉外立木八六二九本を財産区から購入したこと、②組合は当該立木の仲介をAに委託し、Aは右立木を代金一八二五万円で弘前木材に売却したこと、③弘前木材は、右売買代金を約束手形一一通で支払ったが、そのうち手形三通分の額面金額三九〇万円に相当する金員が組合に入金されていないこと、④右手形三通には、Aを被裏書人とする原告名義の裏書が存し、Aが当時の弘前信用金庫(現東奥信用金庫)大鰐支店において、割引を受けて現金化されていたことが認められた。

右事実関係を前提に、右三九〇万円の使途不明金について検討すると、本件業務上横領は、組合内部の人物との共謀ないし協力を得ることなく、部外者であるAが単独で敢行することは不可能であると考えられ、当時の組合内部において、共謀者ないし協力者として疑惑を抱かせうる人物は、原告かB以外には考えられなかった。

(2) M検事は、右の事実を前提に、原告との共謀を認めるAの供述及びこれに沿うBの供述に信用性を認め、犯行を否定する原告の供述は信用できないと判断し、原告を起訴したが、以下に述べるとおり、起訴時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があるとしたM検事の心証と判断は、通常一般の検察官の判断として到底その合理性を肯定することができないという程度に達するほど妥当性を欠いていたとはいえない。

(3) 即ち、本件起訴時の証拠関係によると、Aは、検察官に対し、「原告は、『俺が営林署から払下げを受けたとき木材の搬出に道路が悪いので道路費用がかかるから二〇〇万円まけさせたのだから、俺が二〇〇万円貰う。お前にも一〇〇万円位やる。Bにも三〇万円位やれ。弘前木材や青森銀行津軽支店にも一五万円位ずつやれ。』と言った。私は、東奥信用金庫大鰐支店で三九〇万円の現金を作り、平賀町町長室で原告に一万円札二〇〇枚を手渡し、弘前木材の事務所で佐々木所長か佐藤次長のどちらかに三〇万円渡した。」と原告との共謀の事実を明確に述べていた。

Aの検察官に対する右供述は、①具体性、一貫性があること、②契約締結の内容、約束手形による代金支払の状況、組合に入金されていない金銭の流れなどについて客観的証拠と概ね符合していたこと、③Aは、「私(A)は、原告の世話になっており、原告の不正を言えば木材の仲介もできなくなり、生活に困ると思って、初めは本当のことを話せなかった。しかし、原告はその後私に木材の仲介の仕事をさせないで、自分自身の利益ばかり取り、やり方が汚いので、腹が立ち本当のことを話す気になった。」と述べており、その供述の動機には合理性があること、④Aは、「本件売買代金の支払いのため私が受け取った約束手形一一通を一旦原告に渡し、その後横領した本件手形三通を受け取った。」と供述していたが、このことは右約束手形一一通の裏書人欄の組合組合長理事原告の記名及び組合長の職印が押捺され、そのうち横領された手形三通にAの裏書がなされていることから裏付けられていたこと、⑤Bの供述内容と重要な部分(原告がAに対し立木売買の仲介を依頼したこと、原告がAに対し二〇〇万円を要求したことをAから聞いたこと、原告が営林署と立木代金を二〇〇万円位値引させる交渉をしたこと、昭和四五年八月か九月ころAから三〇万円を受領したこと)で一致していたこと、⑥Aの受領した一三〇万円は仲介手数料としては多額で、共犯者への利益配分という趣旨も含まれていたと推認できたことなど信用性を裏付ける諸事情が認められた。

また、原告自身も、本件業務上横領の犯行は否認しつつも、組合の赤字を解消するため、官行造林の払下げを受け、組合に転売利益をもたらすため自ら払下げ価格の値下交渉を行った上、払下げを受けた立木は財産区から組合に転売することとし、組合からの販売先についてAに仲介を依頼したことなど、右立木の転売を原告主導の下で行ったことを認め、更に「弘前木材が組合に支払った手形三通の合計三九〇万円は、仲介人であったAらに仲介料その他の謝礼としてやったような記憶がある。」と述べ、右三九〇万円を原告の指示でAら複数の者に分配したことを認める不利益供述をもしていたものであり、弘前木材に対する転売について売主名義がAになっていたことや売買価格が一八二五万円であることに全く関知していなかったとする原告の弁解は、到底信用しえないものであった。

そして、昭和四六年度の官行造林の売買でも、立木の買受人米沢が支払った金員の一部一三〇万円について、Aが関与した横領の事実が強く疑われていたところ、Aはこの件も原告の指示で行った旨明確に述べており、当時はBが長期欠勤中で全く関与できず、部内の協力者としては原告以外には考えられず、原告には右横領の嫌疑も認められた。

(4) M検事は、前記のようにAの共犯者は原告かB以外には考えられない状況の下で、右のような証拠関係を前提にすれば、基本的にはAの供述及びこれに沿うBの供述に信用性が認められ、原告の供述は信用できないと判断し、本件公訴提起をした。

結果的に、原告の有罪の鍵を握る共犯者Aが本件起訴前の昭和五二年二月三日に脳塞栓に罹患して供述不能となってその後回復せず、Bも公判継続中の昭和五六年一月二四日に死亡するなどして、原告らの起訴後に提出された弁解や捜査段階の供述と異なる公判での供述を覆す証拠資料を収集しきれなかったことから、真相が明らかとならず、刑事判決は無罪となったが、右のような起訴当時の証拠関係を総合勘案すれば、合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があったと判断するべきであるから、M検事の心証、判断及び公訴提起が通常一般の検察官の判断として合理性を肯定できないとはいえないことは明らかであり、本件起訴には国賠法一条一項の違法性はない。

(三) 公訴事実第一の二(財産区と組合との間の昭和四六年七月六日付売買契約書に関する虚偽有印公文書作成)について

公訴事実第一の二についても、起訴時における各種の証拠資料から合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があった。

(1) 本件起訴当時の客観的証拠によると、昭和四六年六月七日付売買契約書により、営林署から財産区に対して杉外立木一万三七〇九本が売却されたこと、財産区からAに対して、右立木の売買のあっ旋が依頼され、その後、Aは仲介人佐藤英司から米沢を紹介され、米沢が買受人となったことが認められたが、右立木の売買については、財産区と米沢間の売買契約書(昭和四六年七月六日付、代金一六五〇万円)が存在するとともに、財産区と組合間の売買契約書(昭和四六年七月六日付、代金一五八〇万円)も存在しており、いずれか一方の売買契約書が虚偽である疑いがあった。

そして、右の点に関しては、財産区の発行した米沢宛の一六五〇万円の領収書が存在したこと、代金の流れに関する帳簿等によると、米沢は、右代金一六五〇万円を小切手で支払い、同小切手は平賀町収入役により領収され、財産区の会計に入金されたと認められたこと、原告、米沢及びAの各供述によると、これらの関係者は右立木の売主を財産区と考えていたことが認められ、これらの事実に加え、町長室での契約締結の状況などを総合して判断すると、財産区と組合の売買契約書が虚偽であると強く推認された。

(2) また、動機についても、財産区は、営林署から払下げを受けた立木を伐採して丸太として売却するよりも、立木のまま業者に転売する方が利益を上げることができるため、直接業者に転売したいと考えていたものの、営林署の払下条件に違反することになることから、昭和四二年から昭和四四年と同様に一旦組合に売却したことにし、組合を通じて業者に売却した形態を取ることに意義があったものと認められた。そして、右のような動機は、財産区には立木を伐採する人手がなく、営林署に対する払下申請理由中に、立木の伐採を組合に委託して行うと記載してあったことから、組合を経由して売買したことにすれば、後になって立木の転売が問題となっても、組合に伐採委託のうえで売却しており、立木のままで転売したものではないと弁解することが可能であった(現に、原告は、昭和五〇年九月に開催された平賀町議会第一六回定例会で、同町議会議員加藤東一郎の質問に対し、組合が払下げ立木の全部又は一部を丸太にしてから転売しており、全く原木のまま転売したことはない旨答弁しており、右の理由は合理的根拠があると認められた。)。

(3) そして、右の証拠関係のもと、原告及び共犯者の竹村は、いずれも原告の指示により、内容虚偽の財産区と組合の売買契約書を作成した旨犯行を自白し、自白内容も右証拠関係と概ね合致するものであった。

なお、刑事第一審判決は、検察官が領収書と二通の売買契約書を原告らに示していずれが虚偽かの回答を求めた結果、原告らは財産区と組合との間の売買契約書が虚偽であると供述せざるをえなかったものであり、そのような供述の信用性は低いと判示し、そのような取調方法を非難するかのようであるが、内容が矛盾する二通の契約書が現に存在するのであるから、常識的に見て一方が虚偽であると考えるのが合理的であり、そうであれば、その二通の契約書を現に作成した本人である竹村と作成を指示した原告に、これらの契約書等を同時に示して回答を求めることは、決して不当な取調方法ではない。

(4) 以上のような本件起訴当時の証拠関係を前提とすると、M検事が財産区と米沢との間の売買取引が真実であり、財産区から組合、組合から米沢への売買取引は虚偽であると判断し、したがって、財産区と組合間の売買契約書を内容虚偽の文書であると認定したことは、極めて合理的かつ全くやむをえないものであり、M検事の右心証、判断及び公訴提起には、通常一般の検察官の判断として合理性を肯定することができないといえないことは明らかであって、国賠法一条一項の違法性は何ら存しない。

(5) なお、原告と竹村は、刑事事件の公判廷にいたり、原告や竹村が事務に馴れていなかったため、誤って財産区と米沢との間の売買契約書を作成したものであり、財産区から組合への売買契約書の方が真実である旨の新たな弁解をしたが、Aは脳塞栓のため供述不能に陥ってその後回復せず、Bも公判継続中に死亡しており、原告らの起訴後に主張された右弁解等を覆す証拠資料を十分に収集しえなかったことから、刑事判決では、右公訴事実につき証明不十分として無罪とされた。

しかしながら、原告と竹村の右弁解は、捜査段階でも容易に主張できたにもかかわらずなされなかったものであり、当時の証拠関係からして、検察官がそのような弁解を到底予測できる状況にはなく、起訴前に右弁解を前提とした証拠の見方や捜査を検察官に期待することは不可能であった。

したがって、右弁解や捜査段階と異なる供述等の証拠資料は、検察官が起訴前に通常要求される捜査を遂行すれば収集しえた証拠資料とはいえず、これを本件公訴提起の違法性の判断の資料とすることはできない。

(四) 公訴事実第二(財産区と組合との間の昭和四六年七月六日付委託販売契約書に関する有印虚偽公文書作成の罪)について

公訴事実第二についても、起訴時における各種の証拠資料から合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があった。

(1) 前記のとおり、本件起訴時の証拠関係を総合すると、財産区と米沢との間の立木売買取引が真実なものであり、財産区と組合との間の売買取引が虚偽であると判断するのが合理的と認められる証拠関係にあったところ、更に①昭和四九年一二月、昭和五〇年三月、同年六月及び同年九月に開催された各平賀町町議会で、議員から右立木の条件違反の転売の事実とこれに関する事項について追及がなされたこと、②財産区と組合との間の売買契約書に代わる委託契約書が作成されたこと、③組合保管の「昭和四六年度契約書綴林産関係」と題する綴りの中の売買契約書が委託契約書に差し替えられていたことなどが認められた。

そして、組合専務理事芳賀幸治から本件委託契約書の作成を指示された太田由紀子は、「昭和四九年ころ、芳賀から組合にあった契約書を委託と書き換えるよう指示されて、本件委託契約書を書いた。斉藤洋は当時組合事務所に来ていないので、同人の判は芳賀が押したと思う。契約書上部の水木の判は原告が押したと思う。」旨述べていた。

(2) これに対し、芳賀は、太田由紀子に対し本件委託契約書の作成を指示したことは認めたものの、「委託契約書の方が本当と思った。本件委託契約書は原告に見せるため書かせたもので、捨てるつもりだった。」などと本件委託契約書が虚偽であることの認識、犯行の動機、行使の目的などについて否認する供述をしていた。しかし、右供述には、①捨てるつもりの契約書なのに収入印紙を貼り、割印を押し、町長の決裁を貰い、町長の職印や斉藤の判を押していること、②委託契約書を複写で書かせているのは、委託契約書を財産区と組合の双方で原本を一通ずつ保有しているように見せ掛けるためではないかとの疑問があること、③芳賀は、前記立木の取引に関与しておらず、取引の実体についての知識がないのに、関係者に何らの事情も聞かずに、本件委託契約書を作成させたこと、④太田国昭や斉藤に事前に確認や承諾を得ずに同人らの判を押したことなどの合理的疑問があり、太田由紀子に契約書の作成を指示した部分を除き信用性は認められなかった。

(3) そして、原告は、「財産区と米沢の売買が真実の取引であるが、営林署の払下条件違反を隠すため、組合への売買契約書を作成した。本件委託契約書も虚偽であり、私が決裁した。昭和四九年秋ころか、昭和五〇年九月ころ、野党議員から本件立木の転売について追及を受け、芳賀から相談を受けて、虚偽の委託契約書を作成し、組合の書類に綴っておいたほうがよいと思った。」旨本件犯行を自白していた(なお、原告や芳賀の取調方法には、何らの違法もなかった。)。

(4) M検事は、以上の証拠関係を前提にして、本件起訴をしたものであり、原告と芳賀が共謀のうえ内容虚偽の本件委託契約書を作成したとの認定は、合理的で、全くやむをえないものであり、同検事の心証、判断及び公訴提起が、通常一般の検察官の判断として合理性を肯定することができないなどといえないことは明らかであって、国賠法一条一項の違法性は何ら存しない。

二原告の損害(原告の主張)

原告は、M検事による違法な公訴提起により、合計九〇六万円の損害を被った。

1 慰謝料

(一) 原告は、三期目の平賀町町長在職中に起訴されたため、昭和五三年一一月一二日の町長選挙で落選した(原告七一七八票、対立候補原田忠太郎八一八七票)。原告は、本件不当起訴がなければ、従前の業績からして平賀町町長に四選されたこと確実であるから、本件起訴と町長選挙落選との間には相当因果関係がある。

(二) 原告は、違法不当な本件起訴を受け、起訴事実を新聞に大々的に報道されたうえ、起訴を受けたことが原因で町長選挙に落選した。これらの精神的苦痛に対する慰謝料は五〇〇万円を下らない。

2 弁護士費用

(一) 原告は、本件起訴前から青森県弁護士会所属の弁護士に事件につき相談をしていたが、右刑事事件は無罪を争う難事件であったところ、右弁護士は多くの役職を兼務し、多数の手持事件を抱え、かつM検事とも親交があったため、十分な弁護活動がなしえない危惧があった。そこで、原告は、刑事事件に精通する第二東京弁護士会所属の野瀬高生弁護士を弁護人に選任し、着手金一〇〇万円を支払うとともに、旅費(航空運賃、タクシー代等)、宿泊費、日当込みで一回当たり八万円を支払う旨約した。

(二) 野瀬弁護士は、その後高齢のため寒冷地への出張が困難となったことから、原告は、昭和五六年一一月三〇日、東京弁護士会所属の西村雅男弁護士をも弁護士に選任し、日当につき右と同旨の約定をした。

(三) 野瀬弁護士は、昭和五二年一〇月三一日の第一審の第一回公判期日から昭和五九年三月二二日の第四〇回公判期日まで、延べ一二回の公判期日に出頭し、西村弁護士は、第一審については、昭和五六年一一月三〇日の第二六回公判期日から昭和五八年四月二五日の第三五回公判期日まで延べ六回、また控訴審については、昭和六〇年五月二一日の第一回公判期日から昭和六一年六月一七日の第八回公判期日まで延べ八回の公判期日にそれぞれ出頭し、原告は、右二六回の出張に対し、合計二〇八万円を支払った。

(四) 原告は、無罪の成功報酬として、右弁護士に対し、合計一〇〇万円を支払った。

(五) 以上のとおり、原告は、弁護士費用(ただし内金)四〇六万円相当の損害を被った。

第三争点に対する当裁判所の判断

一公訴提起の違法性の判断基準について

公訴の提起は、刑事事件において無罪の判決が確定したというだけでは直ちに違法となるものではなく、公訴提起時の検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、右提起時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りる(最高裁昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決・民集三二巻七号一三六七頁参照)。したがって、検察官の公訴提起は、右提起時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑(客観的嫌疑)があれば違法性を欠くが、そのような嫌疑がない場合、即ち有罪判決を期待しうるだけの合理的根拠が欠如しているにもかかわらず、あえて公訴提起をした場合には、違法となると解される。また、公訴提起の違法性は、公訴の提起時において、検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料によって判断すべきであり、公訴の提起後その追行時に公判廷に初めて現れた証拠資料であって、通常の捜査を遂行しても公訴の提起前に収集することができなかったと認められる証拠資料をもって判断することは許されないと解される(最高裁平成元年六月二九日第一小法廷判決・民集四三巻六号六六四頁参照)。

これに対し、被告は、公訴提起の違法性の判断基準につき、右最高裁判決の基準に従うべきであると主張しながら、公訴提起時に要求される嫌疑の程度について、通常一般の検察官の判断としては到底その合理性を肯定することができないという程度に達していること、即ち通常考えられる個人差を考慮にいれても、なおかつ行き過ぎて、著しく合理性を欠くことが必要であると主張する。

しかしながら、わが国における公訴提起の実態、公訴提起により被告人とされた者の受ける種々の不利益を考慮すると、検察官が不十分な捜査しか行わず、客観的に見ても有罪判決を期待しうるだけの合理的根拠が欠如していると判断されるような場合にまで、公訴提起の違法性を否定するのは妥当ではなく、また被告主張の嫌疑の程度で足りるとすると、検察官が軽過失であれば免責されることになると考えられるが、国家賠償法が検察官の公訴提起について、軽過失では足りず、重過失に限定して違法性の要件を定めているとは解されないから、右の主張はにわかに採用しがたい。

そこで、本件公訴提起について、以下起訴に係る公訴事実ごとに、右基準に照らして、その違法性の有無を検討する。

二公訴事実第一の一(業務上横領)について

1  本件起訴時において、公訴事実第一の一(業務上横領)の事実について、合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があったか否かを判断するため、まず起訴時の証拠関係を概観すると、以下のとおりである。

(一) 起訴時に認定しえた客観的事実

本件起訴時における証拠関係、即ち、<書証番号略>(黒石営林署長作成の昭和五〇年一月二三日付「捜査関係事項照会書について」と題する書面)、<書証番号略>(木村勝虎の昭和五一年四月一六日付検面調書)、<書証番号略>(昭和四五年七月二三日付黒石営林署と財産区との間の売買契約書)、<書証番号略>(平賀町長原告作成の昭和四五年六月二二日付「公有林野官行造林立木購入及び随意契約について」と題する書面)、<書証番号略>(昭和四五年七月二五日付委任状)、<書証番号略>(Aと弘前木材との間の昭和四五年八月三日付売買契約書)、<書証番号略>(原告の昭和五二年七月一二日付検面調書)、<書証番号略>(Bの昭和五一年四月二三日付、同月二四日付、昭和五二年六月六日付及び同年五月一二日付各検面調書)、<書証番号略>(Aの検面調書)、<書証番号略>(佐藤亮二郎の検面調書)、<書証番号略>(弘前木材振出の約束手形八通)、<書証番号略>(北秋木材振出の約束手形三通)、<書証番号略>(東奥信用金庫大鰐支店支店長作成の昭和五〇年二月一三日付「捜査関係事項照会に対する回答」と題する書面)、<書証番号略>(昭和四五年度元帳)、<書証番号略>(昭和四五年度林産事業補助簿)及び<書証番号略>(昭和三六年度以降文書綴)によると、まず客観的事実として、以下の事実が認められた。即ち、

(1) 大光寺財産区は、昭和四二年から昭和四六年までの五年間にわたり、継続して黒石営林署から財産区内の官行造林の立木につき、随意契約による払下げを受けていたが、その一環として、昭和四五年七月二三日ころ、杉外立木八六二九本(以下二において「本件立木」という。)を代金一二〇〇万円で営林署から買い受けた。そして、財産区管理者であり、かつ組合組合長であった原告は、そのころ本件立木を財産区から組合へ代金一三〇〇万円で転売した。なお、財産区と組合との間の右売買契約は口頭で行われ、契約書は作成されなかった。

(2) 組合は、本件立木を更に立木のまま転売することとし、その転売の仲介を木材仲介人であったAにさせることとし、昭和四五年七月二五日、本件立木を売却する権限を委任する旨の同日付の組合組合長名義の委任状をBにおいて作成し、同日組合事務室でAに交付した。

(3) Aは、右委任を受け、Bを同行して弘前木材の所長佐々木盛と交渉し、本件立木を代金一八二五万円で売却することとなった。そして、昭和四五年八月三日、売渡人をA、買受人を弘前木材とする売買契約書が作成された。

(4) 本件立木の売買代金は、約束手形で支払われることとなっており、合計一一通の約束手形(額面合計一八〇七万五〇〇〇円)で二回に分けて弘前木材の事務所において弘前木材の次長佐藤亮二郎からAに交付された(代金額には手形の割引料三五万円も含まれており、これを売買当事者間で折半する約定であったため、その半額の一七万五〇〇〇円が買主の負担分として、代金額から控除され、手形額面が右金額となった。)。

一回目に交付された約束手形は、振出人が弘前木材、振出日が昭和四五年七月二九日付、受取人が組合組合長水木強二、支払場所が青森銀行津軽支店、同月三一日付で同銀行同支店の支払保証のある約束手形八通で、その内訳は、①額面一〇〇万円(手形番号FD〇七四七八)、②額面一五〇万円(同番号FD〇七四七九)、③額面一四〇万円(同番号FD〇七四八〇)、④額面一五〇万円(同番号FD〇七四八一)、⑤額面一五〇万円(同番号FD〇七四八二)、⑤額面一一七万五〇〇〇円(同番号FD〇七四八三)、⑦額面一五〇万円(同番号FD〇七四八五)、⑧額面一五〇万円(同番号FD〇七四八六)の額面合計一一〇七万五〇〇〇円であり、二回目に交付された約束手形は、振出人が北秋木材、振出日が昭和四五年八月三日付、受取人が組合組合長水木強二、支払場所が秋田銀行大館駅前支店の約束手形三通で、その内訳は、⑨額面二三〇万円(手形番号AA〇一七一〇)、⑩額面二三〇万円(同番号AA〇一七一一)、⑪額面二四〇万円(同番号AA〇一七一二)の額面合計七〇〇万円であった。

(5) 右約束手形には、全て第一裏書人欄に組合組合長理事水木強二名義の記名印及び組合長の職印が押され、このうち、弘前木材振出の④ないし⑤の約束手形五通(額面合計七一七万五〇〇〇円)は、昭和四五年八月七日、北秋木材振出の約束手形三通(⑨ないし⑪・額面合計七〇〇万円)は、同月一〇日、それぞれ現金化され組合に入金処理された。

これに対し、右約束手形のうち、弘前木材振出の①ないし③の約束手形三通(額面合計三九〇万円)は、組合に入金されておらず(組合の経理処理上、売掛金あるいは貸付金などの未収金扱いともなっていない。)、右のとおり第一裏書人欄に組合組合長理事水木強二名義の記名印及び組合長の職印が押され、更に第二裏書人欄にAの記名印及び同人の印章が押された。そして、Aが昭和四五年八月五日、弘前信用金庫(現在の東奥信用金庫)大鰐支店において、右約束手形三通を担保に三九〇万円の貸付を受け、利息六万一二二六円を天引きされて、三八三万八七七四円を受け取った。

右事実関係(なお、刑事事件の第一審判決(<書証番号略>)でも、ほぼ同旨の事実が認定されている。)を前提とすると、組合は本件立木を弘前木材へ代金一八二五万円で売却したが、代金として支払われた約束手形一一通(額面合計一八〇七万五〇〇〇円)のうち、弘前木材振出の約束手形三通(右(四)の①ないし③・額面合計三九〇万円)は組合に入金されず、何人かによって着服された疑いが高いものと認められた。

(二) Aの供述

この点につき、本件立木の売買を仲介したAは、昭和五一年四月三〇日に行われた検察官の取調に対し、概ね以下のような供述をした(<書証番号略>・Aの検面調書)。即ち、

(1) 私は、昭和四五年七月ころ、原告から本件立木を代金一四〇〇万円以上で転売するよう頼まれ、黒石営林署と財産区との間の売買契約書(ただし、代金額はマジックで消されていた。)、原告の指示でBが書いた委任状を渡された。弘前木材との販売の交渉にはBも同行し、弘前木材との間で代金一八二五万円で売買が成立した。

(2) 本件立木の売主は組合であるが、売買契約書の売主は私の名義にした。その理由の一つは、弘前木材から代金の支払として第一回目の約束手形を貰い、町長室へ手形を持っていき、原告にこれを渡した時、原告から「俺が営林署から払下げを受けた時、木材の搬出に道路が悪いので道路費用がかかるから二〇〇万円まけさせたのだから、俺が二〇〇万円貰う。それで組合の名前にするとうまくないから弘前木材との契約は売主をお前の名前にしてやれ。お前にも一〇〇万円位やる。Bにも三〇万円位やれ。弘前木材や青森銀行津軽支店にも一五万円ずつやれ。」と言われたからである。これは、弘前木材への本件立木の売買が思ったより高い代金で契約できたので、その利益の一部を原告が取るためだと思ったが、当時私は財産区や組合の仕事を仲介して生活していたので、原告の言うとおりにした。

売主を私の名義にしたもう一つの理由は、財産区が本件立木を営林署から払下げるときの条件で、立木のままの転売ができないことになっており、組合の名前を出すと条件違反が分かってしまうため、組合の名前を出さないようにするためであった。

(3) 昭和四五年八月三日、弘前木材との間で売買契約を締結したが、その席にはBはいなかったと思う。

代金の支払は、いずれも約束手形でなされ、弘前木材振出の手形八通(前記(一)の(4)の①ないし⑧の約束手形)を右手形の振出日である昭和四五年七月二九日ころ(ただし、Aは、これを同年七月二五日ころとも述べている。)、北秋木材振出の約束手形三通(前記(一)の(4)の⑨ないし⑪の約束手形)を右手形の振出日である同年八月三日ころ、それぞれ弘前木材の事務所で佐藤次長から受け取った。弘前木材振出の手形八通を同年七月二九日ころ原告に渡した時、原告から前記のような指示を受けた。そのときBがいたかどうかは現在よく覚えていない。北秋木材振出の手形三通は、同年八月三日ころ、大館の北秋木材へ行って受け取り、そのころ町長室へ持っていき原告に渡した。

(4) 弘前木材へ一八二五万円で売り、組合へは一四一七万五〇〇〇円入れた。一七万五〇〇〇円多いのは、財産区へ回される分で、更にこれを財産区内の本町山林組合の連中が静岡へ旅行に行った経費の一部に回り、残り三九〇万円を原告、A、B、弘前木材及び青森銀行津軽支店で分けるということだった。

原告は、三九〇万円の金を浮かし、原告が二〇〇万円取り、Bに三〇万円やり、弘前木材と青森銀行津軽支店にそれぞれ一五万円ずつやり、残りの一三〇万円を私にやるということなので、私はこれまで長年財産区や組合のために木材をあっ旋してきたので、原告がそのお礼の意味でくれるものと思い、これを承知した。

(5) 私は、私が裏書した青森銀行の保証がされた手形三通(前記(一)の(4)の①ないし③の約束手形)を、当時私が取引をしていた東奥信用金庫大鰐支店に同年八月五日に持っていき、これを割って貰い現金を作った。このうち八〇万円を、当時私の東奥信用金庫への借金の返済に支払い、また利息六万一二二六円を取られたので、実際手に入ったのは一二三万八七七四円であった。

(6) 同年八月五日、東奥信用金庫で三九〇万円を作り、それから平賀町町長室へ行って、原告に一万円札を二〇〇枚直接渡した。このときは原告と私しかいなかったと思う。原告は領収書は書かなかった。

同年八月六日ころ、当時私が藪谷美代と住んでいた部屋にBがきたので、Bに一万円札三〇枚を渡した。同日ころ、私は、弘前木材の事務所へ行き、佐々木所長か佐藤次長に三〇万円を手渡し、「一五万円は弘前木材で皆に一杯飲ませてやってくれ。残り一五万円は青森銀行津軽支店にも手形保証等で世話になったからやってくれ。」と言った。

(7) 私は、原告のことについて警察から何回も聞かれたが、初めのうちは本当のことを話さなかった。私も原告の世話になっており、原告の不正を言えば、私自身が木材の仲介もできなくなり、生活に困ることになるからであった。その後、原告は、私に木材の仲介も全然やらせないで、自分自身の利益ばかり取って、やり方があまりに汚いので、腹が立ち本当のことを話す気になった。

以上のとおりであり、Aは、前記(一)の(4)の①ないし③の約束手形三通の着服横領につき原告との共謀の事実を裏付ける内容の供述をした。

(三) Bの供述

また、当時組合の主事として組合の経理を担当していたBは、この点について、検察官の取調べに対し、要旨以下のとおり供述した(<書証番号略>・Bの昭和五一年四月二三日付、同月二四日付及び同年六月六日付各検面調書)。即ち、

(1) 私は、Aと弘前木材へ行き、本件立木の売買交渉をしたり、Aとともに弘前木材の佐々木所長を現地に案内したりした。しかし、本件立木の売買契約の売主がAになっていることは、警察で取調べを受けた際に売買契約書を見せられるまで知らなかった。これは、原告がAを売主にするよう指示したものと思う。

弘前木材から本件立木の代金として手形を受け取る以前に、原告から本件立木をAに一四〇〇万円で売ったことに経理しておくよう言われた。しかし、私は、組合がAを介して本件立木を弘前木材へ売ったと考えていたので、経理(補助簿、元帳)は弘前木材から代金が支払われたように記載した。

(2) 原告は、Aに本件立木の転売に関する委任状を作成する前、同人に対し本件立木を最低一四〇〇万円で売るよう言っていたので、私は、Aが本件立木を一四〇〇万円で弘前木材に売ったと思っていた。

売買契約書を警察で見せられた時、売買代金が一八二五万円と書かれているのを見て、四〇〇万円位差額があるのが分かった。自分は組合をやめていた後だったので、Aに聞いたところ、その差額のうち二〇〇万円を原告が取り、残りの二〇〇万円はAや弘前木材の謝礼に取ったということであった。Aは、原告が「(営林署との交渉で、立木の代金を)二〇〇万円まけさせたのだから、俺によこせ。」と言って二〇〇万円を取ったと言っていた。私は、原告が財産区の管理者として営林署と本件立木の払下げ交渉をした際、原告に同行し、原告とともに、立木を伐採して搬出する道路状態が悪いので、二〇〇万円位価額を下げるよう話したことがあったので、Aの話は本当のことだと思った。

(3) 弘前木材振出の手形八通(前記(一)の(4)の①ないし⑧)と北秋木材振出の手形三通(同(一)の(4)の⑨ないし⑪)は、Aが二回にわたって組合事務所に持ってきたと思う。そのいずれか一方を私がAから受け取った記憶があるが、Aの裏書のある手形三通(同(一)の(4)の①ないし③)が何故組合の収入にならず、Aに渡ったか後に同人に事情を聞くまで分からなかったので、私が受け取ったのは北秋木材振出の手形三通と思う。弘前木材振出の手形五通(額面合計七一七万五〇〇〇円)は昭和四五年八月七日、北秋木材振出の手形三通(額面合計七〇〇万円)は同月一〇日、青森銀行平賀支店で現金化され(私が同支店に赴いて手形を現金化したのは一回と思う。)、合計一四一七万五〇〇〇円が組合に入金となった。

(4) 私は、昭和四五年八月か九月ころ、当時のAの家に行ったとき、同人から三〇万円を貰った。これは、Aが山林を買った時、同人に頼まれて一緒に現地調査を何回もしたので、そのお礼だと思った。弘前木材との本件取引で浮かせた金(三九〇万円)の分け前とは思っていない。

以上のとおりであり、Bは、原告と共謀して本件横領をしたとの前記のAの供述に沿う内容の供述をした。

(四) 原告の供述

これに対し、原告は、検察官の取調べに対し、要旨以下のとおり供述し、本件業務上横領の容疑を否認した(<書証番号略>・原告の昭和五二年七月一二日付、同月一三日付及び同月一九日付各検面調書)。即ち、

(1) 私が組合長に就任してから、組合は国有林の払下げを受けて直営事業をしたり、製材所を作ったが、いずれも赤字に終わり、昭和四五年、四六年ころには財産区に対しかなりの借金があった。そのころ、組合の赤字を解消するため、国有林の払下げを受けてこれを他に転売して利益を得てはどうかとの意見が財産区の議長など理事から出された。私も赤字解消のためには仕方がないと思い、払下げを受けた官行造林の立木を他に転売することにした。

財産区や組合が随意契約で国から立木の払下げを受けた場合、売買条件として立木のまま転売することは禁じられており、そのことは私も理事らも承知していたが、組合の赤字解消のためには仕方がないと考え、売買条件に違反して、払下げを受けた立木を立木のまま転売することにした。

(2) 昭和四五年七月二三日、営林署長と財産区管理者である私との間で本件立木を代金一二〇〇万円で購入する売買契約が締結された。この払下げの交渉の際、私は、営林署長に対し、立木を搬出する道路が悪く、道を補修しなければならないので、価格を下げて欲しいと交渉した記憶がある。実際は立木のまま転売するので、必要ではなかったが、思ったとおりの価格で転売できるかどうか分からなかったので、少しでも安くしてもらおうと考えたものである。いくら下げて欲しいと言ったかは記憶していない。

(3) その後、本件立木を財産区から組合へ転売したが、いくらで転売したか記憶にない。財産区が組合へ立木のまま転売したことが分かると困るので、契約書は作らなかった。そして、本件立木の転売を木材の仲介人のAに委任した。委任状はBが書き、これを組合でAに渡したと思う。委任状を渡すことは、私も承知していた。

(4) 昭和四五年七月末か八月初めころ、本件立木を弘前木材へ転売したが、その売買の交渉は、AとBが行った。弘前木材への本件立木の売買契約書では、売主がAとなっており、代金が一八二五万円となっているが、私はいずれも知らなかった。私は、なぜ売主がAになっているか分からないし、本件立木を右代金額で売れと指示したこともない。

(5) 弘前木材が支払ったという一八〇七万五〇〇〇円の手形と組合に入金になっている一四一七万五〇〇〇円との差額三九〇万円があるが、その差額がどうなったか私はわからない。私がAと二人で弘前木材振出の手形三通(前記(一)の(4)の①ないし③)を横領したことはない。

右手形三通三九〇万円を仲介人であったAらに仲介料その他の謝礼としてやったような記憶が思い出された。しかし、このうち二〇〇万円を私が取ったということはない。

2  本件業務上横領による公訴提起の適否について

そこで、以上のような起訴時の証拠関係(前記1で認定した事実及び証拠関係並びに第二(無罪判決に至る経緯等)三及び四の証拠関係)を前提として、本件業務上横領の公訴提起の適否、即ち、本件業務上横領につき、右各種の証拠関係から合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があったか否かについて検討する。

前記1で概観したとおり、本件業務上横領につき原告がAと共謀したことを基礎付ける直接の証拠は、Aの供述のみであった。しかも<書証番号略>及びMの証言によると、Aは、検察官の取調べ(昭和五一年四月三〇日)を受けた後、本件公訴提起(昭和五二年七月二二日)の前である昭和五二年五月一一日の時点で既に脳塞栓に罹患して、左片麻痺、言語障害、知能低下等の後遺症により、その後の捜査官の取調べや公判廷での証言が不可能な状態になっていたことが病状照会により認められたから、本件起訴につき有罪判決を期待しうるか否かは、専ら原告との共謀による本件業務上横領の事実を認めたAの捜査段階での供述(特に、同人の検面調書)に信用性が認められるか否かに掛かっていたと考えられる(<書証番号略>によると、同人の検面調書は、刑事事件において、刑事訴訟法三二一条一項二号の書面として採用され、取り調べられた。)。そして、<書証番号略>及び証人Mの証言によると、M検事も、起訴時における証拠関係及びこれらから認定された客観的事実関係、前記1(四)の(5)の原告の自己に不利益な供述(前記三九〇万円をAらに謝礼としてやった記憶がある。)等に照らし、Aの検面調書及びAの供述内容に沿うBの検察官に対する前記各供述調書を信用しうるものとし、嫌疑を否認する原告の供述は信用できないものとして、本件業務上横領を公訴提起したものと認められる。

そこで、Aの検面調書の信用性について検討し、次にBの検面調書の信用性などAの検面調書を裏付ける証拠について検討し、有罪と認められる嫌疑があったと判断した検察官の心証と判断の合理性について検討する。

(一) Aの検面調書の信用性について

(1) Aの検面調書の信用性を、起訴時の証拠関係を基に検討すると、右供述調書の供述には、以下のような不合理な点が存在した。

① Aの供述の変遷について

Aは、本件が検察庁へ送致される以前、二回にわたり警察での取調べを受け、それぞれ供述調書が作成された(同人の昭和四九年一〇月三〇日付及び昭和五〇年二月一二日付各員面調書・<書証番号略>)が、本件立木の売買に関する部分の内容は、以下のとおりであった。

Ⅰ 昭和四九年一〇月三〇日付員面調書(<書証番号略>)

昭和四五年五月初旬ころ、組合の杉外立木一万石位を代金二一六〇万円位で弘前木材へ売る仲介をした。契約の際現金九〇〇万円位、同年五月中旬ころに約束手形九〇〇万円位を受領した。これらは私に同行したBが弘前木材の佐々木盛次長から受領した。

同年五月下旬ころ、組合へ行った時、平賀町町長室で原告から、「弘前木材の残金三六〇万円を交渉して受領してきてくれ。二〇〇万円は俺のところへ持ってきてくれればよい。弘前木材とBに各三〇万円をやり、あとの一〇〇万円はお前にあげる。」と言われた。組合の仕事を何年もやり一度も礼金を貰ったことがないので、苦労をかけているという趣旨でくれるものと思った。右配分についてはBも同席したのでよく分かっている。

翌日、弘前木材で佐々木次長から三六〇万円の銀行保証手形を受領し、午後二時ころ組合でBに渡した。Bは、原告に裏書をして貰った。私は、原告とBに頼まれ、支払場所の弘前信用金庫大鰐支店で手形を現金化し、午後四時ころ、町長室で原告に現金二〇〇万円を渡した。原告はこれをすぐBに渡したと思う。残りの一六〇万円について、Bと弘前木材に各三〇万円、手形割引料一二万円を差し引いた八八万円を私が貰うことにして帰った。翌日朝七時ころ、私の間借りしていた部屋に来たBに三〇万円を渡し、当日午後九時過ぎころ、弘前木材の所長室で佐藤良次郎所長に三〇万円を渡した。

Ⅱ 昭和五〇年二月一二日付員面調書(<書証番号略>)

前の供述は記憶で話したので、大分間違っていたから、訂正する。昭和四五年度の弘前木材への立木の売買は、私個人と弘前木材との売買であった。その立木は財産区が営林署から一二〇〇万円で払下げを受け、財産区の立木の伐採事業を行う組合が私にそのまま一四〇〇万円で売ってくれた。この契約は組合長であった原告の話で決まったものだ。

組合と私が契約した昭和四五年七月二五日ころ、原告から、「あの山(立木)は、道路上のことで営林署から二〇〇万円まけさせたのだから、その銭を俺によこしてくれ。」といわれ、原告に二〇〇万円やっても十分儲けがあるし、今後の払下げ立木の仲介もさせてくれるというので、拒否できないで、二〇〇万円やることにした。

同年八月三日、弘前木材へ本件立木を代金一八二五万円で売った。これについては、Bも現地調査に入っており、弘前木材へも出入りしているので、よく分かっている。代金は、当日青森銀行津軽支店の保証手形八通(合計一一〇七万五〇〇〇円)、翌日秋田銀行大館駅前支店の保証手形三通(合計七〇〇万円)で支払われた。差額の一七万五〇〇〇円は現金で受領した。組合への立木の代金は、青森銀行津軽支店の保証手形五通(合計七一七万五〇〇〇円)と秋田銀行大館駅前支店の保証手形三通(七〇〇万円)で支払った(一七万五〇〇〇円は負担した手形の割引料)。

同年八月三日か四日のいずれかの午後三時過ぎころ、町長室で原告に二〇〇万円を渡した。このときいたのは原告と私だけでBはいなかった。原告から言われて、Bに三〇万円(私の家に取りに来た。)、弘前木材の佐々木所長に三〇万円(弘前木材、青森銀行津軽支店各一五万円ずつ)を渡し、手元には一四八万円位残り、そのうち一一〇万円位を秋田相互銀行弘前支店の口座に預金した。

以上のとおりであり、Aの本件に関する供述は、ⅰ本件立木の弘前木材への転売は、Aの仲介によるものか、あるいは一旦これを購入してから転売したものか、ⅱ弘前木材への本件立木の転売の日時や代金額、ⅲAが原告から二〇〇万円の配分について指示を受けた日、ⅳ木材代金として弘前木材から支払われた手形の授受やその現金化及び原告への交付にBが関与していたか否かなど、いくつかの重要な点について、その供述内容が大きく変遷していた。そして、これらの供述内容の変遷について、Aは、同人の昭和五〇年二月一二日付員面調書(<書証番号略>)において、Bの話や自分の記憶について更に考えてみたところ、前回の供述には記憶違いがあったと述べている他は、格別供述内容を変更した理由を述べていない。

この点につき、被告は、「Aの員面調書二通(<書証番号略>)は、取調べに当たった警察官が、手形や関係帳簿等の物的証拠を示すことなく、Aが記憶のままに述べたのをそのまま調書化したものであり、本件立木の代金、転売の日等客観的証拠と食い違った供述も多かったのであるから、同人の員面調書二通の信用性は低い。一方、Aの検面調書は、検察官がAの員面調書二通は単に参考資料とするにとどめ、自ら物的証拠を集め、これらを示した上で取調べを行い、供述調書を作成したものであって、右供述は具体的で一貫性がある。したがって、同人の検面調書にこそ信用性があるのであって、単に供述内容の変遷があるからといって、そのことだけをもって、Aの検面調書に信用性がないとはいえない。むしろ、同人が当初から昭和四五年の官行造林の売買代金のうちから、原告の指示を受けて原告に二〇〇万円を渡し、A自身も金を貰い、Bらに金を分けたと一貫して述べていたことが重要である。」と主張する(M検事も、当審で、同様の趣旨の供述をしている。)。

確かに、<書証番号略>(当時Aを取り調べた警察官成田勇作の証人尋問調書)によると、Aの員面調書二通は、取調べに当たった警察官が、手形や関係帳簿等の物的証拠をほとんど示すことなく、Aが記憶のままに述べた内容をそのまま調書化したものであることが認められ、また変遷した供述内容の中には、弘前木材への本件立木の売買代金、売買の日(前記ⅱ)など、客観的証拠関係から見ても単なる記憶違いと考えられる供述もある。また、Aは、員面調書でも、被告の右主張のような供述をしていたことが認められる。

しかしながら、前記の供述内容の変遷には、Bが木材代金として弘前木材から支払われた手形の授受やその現金化、更には原告への交付に関与していたか否か(前記ⅳ)についての供述など、単なる記憶違いであったとはいいきれない供述内容の変遷もあったのであり、特に本件に誰がどの程度関与していたかは、Aが誰と共謀して本件横領を行ったかを判断するうえで、極めて重要な事実であるから、Aの検面調書の信用性を判断するに当たり、同人の員面調書二通(特にその供述内容の変遷)を全く考慮しなくてもよいということはできない。

しかも、Aの検面調書も、後述のように、弘前木材から手形を受領した日など重要な事実の供述に記憶違いと思われる箇所があったり、Aが原告に手形を渡した後、横領した手形三通を誰から受け取ったかなど当然説明されて然るべき重要な事項についての供述がないこと、更に北秋木材の手形を受領した場所について、手形は二回とも弘前木材で受領したと述べながら、そのすぐ後で北秋木材振出の手形は同社の事務所で受領したと述べるなど、供述が一貫しない箇所も見受けられることなど、必ずしも、被告が主張するように具体的で一貫したものとはいいがたい供述内容となっている。

また、<書証番号略>(Bの昭和五一年四月二四日付検面調書)によると、Bは検察官に対して、「これまでA自身が山林を買った時、同人から頼まれて一緒に現地調査を何回もしたことがある。」などと、Aとの密接な関係があったことを述べていたこと、本件へのBの関与に関するAの供述は、警察でのBの取調べ(昭和五〇年一月二五日及び同年二月一八日・<書証番号略>)を境として、Bの関与を否定する供述へ変化したことが認められ、前記<書証番号略>によると、成田勇作は、右の点について、Aの一回目の取調べと二回目の取調べの間にBを取り調べたので、Bの影響により供述を変えたのではないかとの疑問を当時持っていたと述べており、捜査担当の警察官自身、Aの供述の変遷にBの影響があったとの危惧を有していたことなどが認められるから、起訴時においても、本件横領へのBの関与などについてのAの供述の変化にBの影響があった可能性を考慮し、AとBとの仕事上、生活上の関係などを捜査したうえで、Aの検察官に対する供述の信用性を慎重に検討すべきであった。

しかるに、証人Mの証言によると、M検事は、AとBの生活状況や両者の関係について、積極的な捜査はしなかったと認められるから、検察官にはこの点についての捜査の懈怠があったというべきである。

② Aが弘前木材から手形を受領した日と共謀の成否について

Aは、前記1(二)のとおり、弘前木材振出の約束手形八通を受領したのは昭和四五年七月二九日(ないし同月二五日)ころ、北秋木材振出の約束手形三通を受領したのは同年八月三日ころとし、弘前木材振出の約束手形八通を受領した後、町長室で原告に右手形を渡した際、原告から前記1(二)(2)のとおり、弘前木材への本件立木売買の売主をAにすることや横領した金員の分配等について指示を受けたと述べている。

しかしながら、<書証番号略>(弘前木材振出の約束手形八通)、<書証番号略>(検察官作成の電話聴取書)によると、弘前木材振出の約束手形八通は、いずれも昭和四五年七月二九日付で振り出され、同月三一日に青森銀行津軽支店の支払保証がなされたことが認められるから、同日以前にAが右手形八通の交付を受けることはありえず、手形受領の日についての同人の供述は客観的事実に反していることになる。また、<書証番号略>(刑事第一審判決書にある右元帳の記載内容)、<書証番号略>(弘前木材の元帳の任意提出書及び領置調書)、<書証番号略>(Aと弘前木材との間の売買契約書)、<書証番号略>(佐藤亮二郎の検面調書)、<書証番号略>(北秋木材振出の約束手形三通)によると、売主をA名義とし、買主を弘前木材とする本件立木の売買契約は昭和四五年八月三日に締結され、弘前木材振出の約束手形八通が同日、北秋木材振出の約束手形三通が同月四日、それぞれAに交付されたと認められる。

したがって、弘前木材振出の約束手形八通を昭和四五年七月二九日ころ受領した後、平賀町町長室へ赴き、原告から前記のような指示を受け、そのため売買契約書の売主を自己の名義にしたというAの供述は、起訴時の証拠関係に照らしてみても、右に認定した事実の時間的前後関係と矛盾し、不合理であったといわざるをえない。

なお、<書証番号略>によると、Aは、昭和五〇年二月一二日付の員面調書において、本件立木はAが組合から買い受けたものであるが、昭和四五年七月二五日ころ原告と売買契約をした際、原告から前記のような指示を受けたと述べている。しかし、Aが弘前木材との交渉や契約締結、手形の授受以前に原告から右のような指示を受けていたとすると、原告がその時点では交渉相手として決まっていない弘前木材の名前を出したり、手形に支払保証を受けていない青森銀行津軽支店の名前を出したり、いくらで処分できるかも分からないのに自己の取り分を二〇〇万円と決め、更にAやB等の取り分まで指示するとは到底考えられないから、これらのことを考えてみてもAの供述は不合理であったといわざるをえない。以上は、刑事第一審判決(<書証番号略>)も指摘するところである。

これに対し、被告は、IAが検察官の取調べを受けたのは、本件から約六年を経過した昭和五一年四月であるから、この点に関する記憶が曖昧となっていてもやむを得ないことであり、また同人は、右手形八通の受領日を昭和四五年七月二九日ころと幅を持たせた供述をしていたのであるから、同人の供述が不正確であったとしても、不合理とはいえない、Ⅱ検察官は、右約束手形八通の受領日は証拠関係から同年八月三日ころと認定していたのであり、改めてAの取調べを行う必要を感じていたが、同人が前記のような病気のため、取調べが不可能であったから、検察官がAを再度取り調べて補充捜査をしなかったとしても、捜査の懈怠であるとはいえないなどと主張する。

確かに、右手形の受領日については、行為時(昭和四五年八月三日ころ)からAの取調べ(昭和五一年四月三〇日)までの時間的間隔を考慮すると、記憶が不正確になっていたとしても、やむをえない側面もある(現に佐藤亮二郎の検面調書(<書証番号略>)にも、同様の誤りがある。)。しかしながら、右手形八通を受領した日の正確性はさておくとしても、右手形八通を受領した後の時点で、原告から前記のような指示を受け、売買契約書の売主を自己名義にしたとのAの供述と、八月三日に売買契約が締結され、同日右手形八通が交付されたという客観的事実との時間的前後関係の矛盾は、単に時間が経過したため記憶が曖昧となり勘違いをしたものとは到底いえない不合理な内容である。この点についてはM検事も再確認する必要のある矛盾点ととらえていた(証人Mの証言)。

前記のとおり、Aは、起訴時には既に脳塞栓に罹患していて捜査官の取調べや公判廷での供述は不可能であったと認められるが、だからといって唯一の直接証拠であるAの検面調書の右のような不合理な部分が解明ができないまま、公訴提起をしてもよいとはいえない。かえって、有罪判決を期待することを困難ならしめる要素として、重視すべきであったというべきである。

③ Aが弘前木材振出の手形一一通を渡した相手方及びその後の手形の動き等について

Aは、弘前木材から受領した約束手形はいずれも平賀町町長室で原告に渡したと述べているところ、前記のとおり、右事実についてはAの供述以外に直接証拠はない。そして、同人は、この点について、前記①のとおり、昭和四九年一〇月三〇日付の員面調書では、弘前木材からの手形は第一回目の分はBが受領し、残りの分はAが受領して組合でBに渡したと述べていたが、昭和五〇年二月一二日付員面調書では、誰に渡したかの供述はなく、昭和五一年四月三〇日付の検面調書では、全て原告に渡したとの供述に変化しており、この間の供述の変化については格別合理的な説明がなされていない。前記①で検討したとおり、木材代金として支払われた手形を誰に渡したかという事実は、Aが組合の立木取引に前後数年にわたり関与していたことを考慮しても、本件横領にかかわる重大な事実であるから、単なる記憶違いとはいいきれない重要な供述の変化である。

また、<書証番号略>(須藤衷和の検面調書)、<書証番号略>(太田国昭の昭和五二年六月四日付、同月八日付及び同年七月八日付各検面調書)によると、昭和四五年当時組合の職員は主事のB、書記の太田国昭及び事務員の須藤衷和の三名であり、Bは組合の主事として手形の授受を含めた組合の事務全般を扱っていたことが認められ(なお、<書証番号略>・須藤衷和の証人尋問調書、<書証番号略>・太田国昭の証人尋問調書によると、組合では売買代金や支払手形の受領は主としてBが担当していたことが認められるが、右は検察官において容易に捜査しえた事実であると認められる。)、<書証番号略>(Bの昭和五一年四月二三日付、同月二四日付及び同年六月六日付各検面調書)、<書証番号略>(Aの検面調書)、<書証番号略>(佐藤亮二郎の検面調書)によると、Bは、Aに同行し、弘前木材との本件立木の売買交渉にかなり関与していたと認められたのであるから、刑事事件一審判決(<書証番号略>)が指摘するように、Aが弘前木材から受け取った手形を組合へ納める分も含めて全て原告に渡したことには疑問があり、前記①のとおり、Aの供述の変遷にはBの影響があった可能性も存したのであるから、弘前木材から受領した約束手形を全て原告に渡したとするAの検察官に対する供述の信用性には、疑問があったといわざるをえない。

更に、仮に、Aの供述どおり、Aが弘前木材から受領した手形をその都度原告に交付したとしても、ⅰその後原告がこれを誰に渡し、どのように処理したか、ⅱ昭和四五年八月三日、四日に右手形が全て原告に渡されていたとすれば、何故これが同月七日と一〇日の二回に分けて現金化されて組合に入金されたのか、ⅲAが弘前木材から受領した本件約束手形一一通の組合名義の裏書(第一裏書人欄の組合組合長理事水木強二名義の記名及び組合長の職印の押捺)が誰によってなされたのか、ⅳまたAが弘前信用金庫大鰐支店で担保に差し入れて貸付を受けた弘前木材振出の約束手形三通(1(一)(4)の①ないし③の手形)が組合の裏書後、何時、どこで、誰からAに渡されたのかなどの事実は、Aの検面調書に供述のないことはもちろん、起訴時の証拠関係はもとより、本件の全証拠からも明らかではない。横領されたといわれる右手形三通を含め、弘前木材からAに交付された約束手形一一通のその後の動きは、原告が本件横領に関与したか否か、即ちAとの共謀の有無を判断するに当たり、極めて重要な事実であり、この点の解明は、これらの手形を原告に渡したとするAの検察官に対する供述の信用性を判断するうえで、必要不可欠な事情の一つであったというべきであって、右の点が未解明であった以上、Aの右供述には、起訴の時点においても、その信用性に大きな疑問があったというべきである。

これに対し、被告は、Ⅰ弘前木材から振り出された手形一一通を一旦原告に渡し、その後横領した手形三通を受け取ったとするAの供述は、手形一一通の裏書の記載に合致し、裏付けられている、ⅡAは検察官に対し、弘前木材から受領した手形は二回とも原告に渡した旨明確に述べていたこと、本件立木の転売は原告が主導して行っていたものであり、Aは原告の指示で仲介人となり、原告に恩義を感じて本件に加担したと述べていたことなどから考えると、Aが原告に直接手形を持参したとしても不自然ではないこと、Aの員面調書の作成状況を併せ考えると、前記のようなAの検察官に対する右供述には信用性があるとした検察官の判断は決して不合理ではない、Ⅲ原告の客観的嫌疑、弘前木材から交付された手形の授受に関するBの供述、Aの右供述とを総合すると、Aは弘前木材から受領した手形を一旦原告に交付した後、原告の指示により、組合に入金された北秋木材振出の約束手形三通をBが組合の事務所にいるときに持参し、弘前木材振出の約束手形八通をBが組合事務所にいないときに持参して、それぞれ組合職員に交付したと考えられる(検察官は、右の点につき関係者であるB、太田国昭及び須藤衷和を取り調べ、捜査を尽くしており、Aが病気になり取調べが不能となったため、裏付けが得られなかったが、Aの供述とBの供述との間には矛盾はない。)、Ⅳ組合納付分の手形が八月三日、四日に原告に交付されていながら、Bが二回に分けて割引を受けたことは、Aの検面調書の信用性や本件共謀の成否には直接関係がない、Ⅴ弘前木材から受領した手形に組合の裏書をした者について、検察官は、関係者B、太田及び須藤の取調べをし、できる限りの捜査をし、原告の指示により太田が裏書をしてAに交付したと合理的に推認できたなどと主張する。

しかしながら、被告の主張Ⅰについては、前記のとおり、当該手形一一通に組合の裏書(組合長の記名印、職印の押捺)をしたのは誰か、Aが誰から横領した手形三通を受け取ったのかなど、重要な事実について全く解明されていないのであるから、右手形一一通の裏書に右主張のような記載があるというだけでは、Aのこの点に関する供述が裏付けられたとは到底いえない。

被告の主張Ⅱについては、確かにAが原告の指示を受けて本件横領に関与したとすれば、Aが横領した手形も含めて弘前木材から受領した手形を原告に持参したとしても、そのこと自体は必ずしも不合理でないとの解釈も可能であろう(証人Mの証言によれば、M検事はそのように解したことが認められる。)。しかしながら、前記のとおり、この点に関するMの供述の変遷、右供述の変遷に対しBが影響した可能性、Bの本件に関する関与の状況等を併せて考えると、やはりこの点に関するBの検察官に対する供述には疑問があり、その信用性は慎重に検討すべきであった。

被告の主張Ⅲは、単なる推測であって、証拠に裏付けられたものとはいい難いというべきであり、それがAの病状等から取調べができなかったためだとしても、Aの供述の不合理な部分の解明ができないまま、起訴することがやむをえないとはいえないことは、前記②で述べたとおりである。

被告の主張Ⅳについては、八月三日、四日に当該手形の全てが原告に渡されていながら、Bがその後右手形をわざわざ二回に分けて割引を受けた理由が明らかにされなければ、弘前木材から二回にわたり手形を受け取り、その都度原告に渡していたとするAの検察官に対する供述の信用性にも疑問が生ずることは明らかであって、右信用性の判断とは関係ないとは到底いえない。

そして、被告の主張Ⅴについては、被告が弘前木材から受領した手形一一通に裏書をしたのが太田国昭であると推認する根拠としているB、須藤の供述は、いずれも全くの推測として太田が裏書をしたのではないかと述べたに過ぎないものであり、太田自身も、単に「手形に裏書をしたとすれば、原告かBの指示を受けてやったものと思う。」と述べるにとどまり、記憶に基づいて自ら裏書をしたと認めたものではないから、太田が裏書をしたと推認する根拠とはなりえない。したがって、この点の解明もやはり全くなされていなかったというほかはない。

以上のとおり、被告の主張ⅠないしⅤはいずれも失当である。

④ 原告がAに指示した発言内容について

Aは、検面調書において、原告から前記1(二)(2)のような本件横領及び金員分配に関する指示を受け、指示に従い金員を分配したと述べている。

しかしながら、原告が営林署から本件立木の払下げを受ける際、伐採した立木の搬出道路の状態が悪いとして、売買代金を二〇〇万円減額するよう交渉した事実は、<書証番号略>(Bの昭和五一年四月二四日付検面調書)によると、Bも、検察官に対し、右交渉の際原告に同行し原告とともに減額を要求したと述べていたのであるから、検察官は、AがBからこの事実を聞いていた可能性も十分考慮にいれるべきであったと考えられる。

また、金員の分配に関する指示については、B、更にはおよそ共犯とは考えられない弘前木材や青森銀行津軽支店にまで横領金を分配する理由が明らかではなく、右供述内容は不合理な内容であるといわざるをえない。また、Aが原告の指示に従い金員を分配したとする点については、弘前木材及び青森銀行津軽支店に関しては裏付けとなる証拠は全くなく、むしろそのような分配の事実を否定する証拠が存在した。すなわち、<書証番号略>(佐藤亮二郎の検面調書)によると、弘前木材の次長であった佐藤亮二郎は、Aからの金員の受領を否定し、弘前木材の所長であった佐々木から右のような金員を受け取ったことを聞いたこともないと述べており(なお、<書証番号略>・木村繁の検面調書によると、所長であった佐々木盛は、昭和四七年三月ころ死亡していて取調べが不可能であったことが認められる。)、また、<書証番号略>(佐藤幸夫の検面調書)によると、当時青森銀行津軽支店の支店長代理をしていた佐藤幸夫は、弘前木材が営林署から木材の払下げを受ける際に弘前木材振出の手形に手形保証をしたことがあり、その審査を担当したが、弘前木材の佐々木盛所長や佐藤亮二郎次長から手形保証の謝礼に金員を受け取ったことはなく、聞いたこともないと述べていたのであるから、Aの前記供述の信用性には大きな疑問があったというべきである。

なお、<書証番号略>(Bの昭和五一年四月二四日付検面調書)によると、BはAから三〇万円を受領したこと自体は認めていたが、受領した趣旨については、Aが山林を買ったとき現地調査に何回も同行したことへの謝礼であると述べ、横領金の分配であることは否定していたのであるから、単にBが金員の受領を認めたことだけで、原告の指示どおり横領金の分配をしたというAの供述が裏付けられたとはいい難い。

これに対し、被告は、Ⅰ原告が営林署に対する代金減額の交渉をしたことをAがBから聞き及んだとの証拠はなく、仮に聞き及んだとしても、Aの供述の信用性は減殺されない、Ⅱ金員を分配した理由は、Bについては営林署との売買交渉に同行したこと、弘前木材については相当の利益を産み出した金額で購入したこと、青森銀行津軽支店については手形保証を認めてくれたことなど、領得した三九〇万円を産み出すにつき一定の貢献があったと判断した者への謝礼として分配しようとしたものであると推認できる、Ⅲ横領金のうち、八〇万円はAが銀行借入の返済に充てたことが裏付けられており、Bも三〇万円の受領を認め、Aの供述は一部裏付けがとれていたのであり、他の部分については積極的な裏付けまでは得られなかったが、検察官は必要な捜査は尽くしており、これらの捜査結果は、Aの前記供述の信用性を担保こそすれ、損なうものではなかったなどと主張する。

しかしながら、被告の主張Ⅰについては、Aが右事実をBから聞き及んだ可能性があれば、少なくとも原告からしか知り得ない内容(共謀の事実を裏付ける積極的な証拠)とはいえなくなるのであって、その限りではAの供述の信用性を減殺するというべきである。

また、被告の主張Ⅱは単なる推測の域を出ないものであり、前記のような疑問を解消するに足りるものとはいえない。

被告の主張Ⅲについては、確かに<書証番号略>(東奥信用金庫大鰐支店長作成の昭和五〇年二月一三日付「捜査関係事項照会に対する回答」と題する書面)によると、Aが弘前木材振出の手形三通(額面合計三九〇万円)を担保に貸付を受けた昭和四五年八月五日付でAが東奥信用金庫から借りていた借金のうち八〇万円が返済されていることが認められるが、実行犯であるAが横領金を使用していたことが、原告との共謀を裏付ける事実とはいえず、その他の者への分配金については、前記のとおり、裏付けがないむしろこれを否定する証拠があったというべきである。

以上のとおりであって、被告の主張ⅠないしⅢはいずれも失当である。

⑤ 原告の二〇〇万円の受領について

Aは、原告がAから二〇〇万円を受領したと述べるが、右供述以外には、起訴時の証拠関係はもとより、本件全証拠をみても、これを裏付ける直接証拠はなく、これを窺わせる間接証拠もない(この点は、刑事事件第一審判決[<書証番号略>]も認めるところである。)。前記①で検討したとおり、Aは、昭和四九年一〇月三〇日付員面調書(<書証番号略>)では、原告がAから受領した二〇〇万円を直ぐにBに渡したと述べながら、その後格別の理由もなくこれを否定する供述に変更したのであって、Aの右供述も直ちに信用できるものではなかったというべきである(この点、Bは、前記1(三)(2)のとおり、Aの供述に沿う供述をしているが、Bの右供述に信用性がないことは、次項で説示のとおりである。)。

被告は、原告の自宅を捜査するなどして物証の収拾に努め、裏付けとなる証拠は発見されなかったものの、本件は金額がさほど多くない事案であり、犯行当時から時間も経過していたことを考慮すると、物証が得られなくてもやむをえないと主張するが、検察官が物証の発見に努めたものの、時間の経過等からその発見に至らなかったことがやむをえないとしても、やはりそのことはAの検面調書の信用性を裏付けるものがなく、有罪判決を期待することの消極的事由となるというべきである。

⑥ 組合を受取人とする手形の振出について

Aは、前記1(二)(2)のとおり、横領の事実を隠蔽する目的で原告の指示を受けて弘前木材との売買契約書の売主を自己の名義としたと述べているが、刑事事件第一審判決(<書証番号略>)が指摘するように、そのような目的があったにもかかわらず、原告が支払方法である約束手形の受取人を誰にするのか全く指示せず、漫然と組合を受取人とする約束手形の振出を受けたことには、疑問が残る。

もっとも、<書証番号略>(佐藤亮二郎の検面調書)、<書証番号略>(木村繁の検面調書)、<書証番号略>(小柳寛の検面調書)によると、国有林の払下げや森林組合の立木の売買では、代金の支払を確保するため、買主から銀行等の金融機関の支払保証がなされた手形を振り出させるのが通例であり、銀行等の金融機関は、振出の相手方(受取人)が信用のない個人である場合には通常支払保証をしないことが認められる。そして、M検事は、弘前木材振出の手形八通の受取人が組合となっていたのは、銀行(本件では青森銀行)が相手方(受取人)と取引のある場合しか支払保証をしないため、やむなくAではなく組合を受取人にしたものであり、原告やAは本件が犯罪として官憲に露見することまでは考えてなかったと判断したと述べており(証人Mの証言)、そのような解釈もありえないわけではない。

しかしながら、原告が横領の事実を隠蔽するため弘前木材との売買の売主をAにするようわざわざ指示したとすれば、捜査機関が銀行や弘前木材に対して裏付捜査を行えば、容易に判明する手形の受取人の記載について何の対策も講じていないことは、原告の本件への関与の有無を認定するうえで、やはり疑問として残る事実であり、Aの検面調書の信用性を低める一事情と考えるべきであった。

以上のとおりであり、Aの検面調書は、本件起訴時の証拠関係に照らしても、ほぼ刑事第一審判決(<書証番号略>)の指摘するような矛盾や解明されない箇所など不合理な点が多く存在したことが認められる。

(2) なお、被告は、Aの検面調書の信用性を裏付ける事情として、(1)で検討した主張の他に、①同人が原告と共謀して前記手形三通を横領したことを自白した動機が合理的であること、②Bの供述と重要な部分で一致していたこと、③Aが受領した一二三万八七七四円は仲介手数料としては多額で、共犯者への利益の分配という趣旨が含まれていたと推認できること、④本件立木の売買契約締結の経緯及び内容、約束手形による代金支払の状況、組合に入金されていない金銭の流れなどについて、客観的証拠と概ね符合していたことなどを主張する。

被告の主張①については、確かにAは、自白の動機について、「私(A)は、原告の世話になっており、原告の不正を言えば木材の仲介もできなくなり、生活に困ると思って、初めは本当のことを話せなかった。しかし、原告はその後私に木材の仲介の仕事をさせないで、自分自身の利益ばかり取り、やり方が汚いので、腹が立ち本当のことを話す気になった。」旨述べており(同人の検面調書・<書証番号略>)、右自白の動機は、一見合理的であると解釈できないではない。しかし、右の動機は、同人が原告に対し恨みを抱いていたことを供述したともとれる(したがって、原告に責任を負わせる虚偽の供述を意図的にする動機ともなりうる。)から、Aの供述の信用性を裏付ける決定的な事情とはいえない。

被告の主張③については、Aが仲介手数料を受領したのではなく、代金の一部(手形)を横領したことの裏付けとはなる(もっとも、Aの供述によると、同人は本件立木売買の仲介による手数料を取得していないから、少なくとも右金員の一部は仲介手数料となるべきものであったと考えられないではない。)が、これが原告との共謀を裏付ける事情になるとはいえない。

被告の主張④については、確かにAの検面調書には被告の主張するような客観的事実と符合する部分もあり、その限りでは信用性もあると認められるが、原告との共謀に関する供述については、これまで検討したとおり、不合理な部分が多く存在するから、右の点をもってAの検面調書が全面的に信用できるものと判断するのは、妥当とはいえない。

したがって、被告の主張①③④はいずれも失当である(被告の主張②のBの供述との符合については次項で検討する。)。

(二) Bの検面調書の信用性について

次に、Aの検面調書中の原告との共謀に関する供述に沿うBの前記供述(<書証番号略>・Bの昭和五一年四月二三日付、同月二四日付及び同年六月六日付各検面調書)の信用性について、起訴時の証拠関係を前提に検討する。

(1) Bの右供述は、①本件立木の転売の仲介が原告の委任により行われたこと、②転売代金のうち、組合に入金されなかった分につき、後日Aに尋ね、同人から「原告から道路費用として二〇〇万円まけさせたのだから持ってこいといわれ、町長室で原告に二〇〇万円を渡した。」旨聞いたこと、③営林署から本件立木の払下げを受けるに当たり、原告が道路事情を理由に値引交渉をしたこと、④Bが昭和四五年八月か九月ころAから三〇万円を受領したことなどの点で、Aの検面調書と一致し、このうち、①と③については原告も捜査段階では認めていたことが認められる。

M検事は、Bの供述態度が真摯であったとして、同人は、真実を述べていると感じていた(証人Mの証言)。

(2) しかしながら、Bの②の供述(原告の発言内容)は、Aからの伝聞であり、原告から直接聞いたというものではなく、しかも同人は、警察で取調べを受けるまでは弘前木材への本件立木の売買代金が一八二五万円であったことを知らず、組合に入金された手形の合計一四一七万五〇〇〇円で弘前木材へ売却されたものと考えていたと述べている(なお、<書証番号略>・Bの証人尋問調書によると、Bは、公判廷では検察庁で調べを受けたとき契約書を見て知ったと述べている。)が、前記(一)(1)③で検討したとおり、Bは組合の主事として組合事務の全般を実際に扱う立場にあったこと、本件立木の営林署からの払下交渉、弘前木材との売買交渉に同行し、これに相当程度関与していたこと(<書証番号略>・Bの昭和五一年四月二三日付検面調書によると、Bは、捜査段階においても、弘前木材との本件立木の売買代金の支払に関し、弘前木材から支払われた手形の割引料の負担に関し、詳細な供述をしていたと認められるから、代金額自体について何も知らないとは考えにくい。)、前記1(一)(1)のとおり、営林署からの払下立木の転売は、昭和四二年からの財産区や組合の継続事業であったのであり、組合にとっては赤字解消のための重要な事業であったことなどの事情を総合すると、起訴時の証拠関係に照らしてみても、刑事第一審判決が指摘するように、Bが弘前木材との売買契約の内容を知らなかったとは認め難く、Aと原告との本件共謀があったとすれば、それを後から知ったとは考えられない。

また、仮に同人の供述どおり、警察の取調べを受けた際、弘前木材との売買契約書(<書証番号略>)を見て、初めて売主がA名義となっていたこと及び真実の代金額が一八二五万円であることを知ったとすると、同人が組合に入金された代金額と真実の代金額との差額(三九〇万円)の存在を知ったのはそのころということになるから、右差額の処理をAに尋ねたのは、Bが警察の取調べを受けた時(<書証番号略>によると、Bについて昭和五〇年一月二五日付の員面調書が同人の最初の供述調書と認められる。)以降ということになってしまい、そうだとすると、Bの聞いたAの話は、Aが捜査機関に供述したことをそのころBにも話したにすぎないことになるから、Aの右供述を格別裏付ける証拠とはいえなくなる。

(3) これに対し、被告は、①Bは昭和四五年当時も原告と感情的に対立していたことがBの供述から窺えないわけではないから、Bが本件立木の売買代金額を知らなかったとしても不合理ではない、②原告の関与に関する供述部分は、Bの本件への関与に関する供述部分の信用性とは直接の関係はなく、客観的証拠に沿っており、いわば仲間内の打明け話としてしたものであって、Bがこれを聞き知った状況は自然で作為の入る余地が少ないと考えられ、信用できるものと判断することが可能であったなどと主張する。

被告の主張①については、証人Mの証言中にはこれに沿う部分がある。しかしながら、<書証番号略>(Bの昭和五一年四月二四日付検面調書)によると、Bが原告と感情的に対立したのは、昭和四六年度になってからであり、昭和四五年度に関してはそのような供述はなく(なお、<書証番号略>(Bの証人尋問調書)でもそのような供述はない。)、前記のとおり、昭和四五年度の官行造林の払下げに関してはBは相当程度に係わっていたと認められる。

被告の主張②については、本件へのBの関与に関する供述部分は、同人の供述の重要な柱であり、原告の本件への関与に関する供述と密接に関係しており、その信用性を別個に判断することは、到底できない。

したがって、被告の主張①、②はいずれも失当である。

(4) 以上の認定によれば、Aの供述に沿うBの検面調書の供述は、起訴時の証拠関係を前提としても、にわかには信用できず、本件への原告の関与を認めたAの検面調書の供述を裏付けるものとはいえないものであった。

(三) 原告の供述の評価について

(1) 原告は、前記1(四)のとおり、本件横領の嫌疑を否認し、弘前木材への立木転売に関して、売主名義人がAであることや代金額が一八二五万円であることを含め全く関知していなかったと述べながら、「弘前木材から振り出された手形三通の合計三九〇万円を仲介人であったAらに仲介料その他の謝礼としてやったような記憶が思い出された。」と述べていた。

(2) 被告は、原告の右供述について、弘前木材からAに交付されながら組合に入金にならなかった手形三通の処分に関し、原告の指示でAら複数の者に分配したことをも認める不利益供述であり、弘前木材への転売を全く関知していなかったとする弁解は、原告の本件立木の払下げや転売への関与状況に照らすと、到底信用し難いと主張する。

(3) 原告の右供述は、横領された手形に関し、原告の関与を窺わせる供述であり、証拠を総合判断する際に、原告の嫌疑を裏付ける方向の一事情にはなると考えられる(<書証番号略>・原告の被告人質問調書によると、原告は、右供述について、検察官の誘導尋問によるものと述べるが、本件横領に関する原告の検面調書は基本的には本件横領の事実を否認したものであり、原告の言い分も録取された内容となっており、右供述についても任意性がないとは考え難い。)。また、原告の捜査段階の供述を前提とすると、原告が営林署からの本件立木の払下交渉に自ら臨み、代金額減額のための交渉を行ったり、これを組合に転売する決定をし、Aを仲介人として転売することを承知していたなどの事情も認められた(原告は、当時職務多忙のため、決裁書類には盲判を押印することが多く、組合の職務はBが独断専行していたと主張するが、少なくとも捜査段階の供述を前提とすると、本件立木の転売については、右の程度の関与は認められた。)。

しかしながら、右三九〇万円の処分に関する原告の供述は、処分に関する明確な指示の内容、指示の時期、指示をした場所などを述べた具体的な供述ではなく、仲介料などとして払ったのではないかという極めて曖昧な供述に過ぎないから、これをもって、原告の有罪の嫌疑、Aの検面調書の信用性を積極的に基礎づける供述であるとまで判断するのは妥当ではない。

また、原告が本件立木の払下げと転売に一定の関与をしていた事情は、以上に検討してきたAの検面調書の不合理性、Bの供述の不合理性に鑑みると、原告の嫌疑を裏付けるうえで格別重視するべきではなかったというべきである。

(四) 昭和四六年度の官行造林の売買で、原告が一三〇万円を自己のものとした嫌疑について

被告は、A、米沢正人及びBの検察官に対する各供述から、昭和四六年度の官行造林の売買で、原告が一三〇万円を自己のものとした嫌疑があり、これは本件横領の嫌疑に関しての状況証拠となると主張する。

しかしながら、被告も主張するとおり、右の事実は結局嫌疑が十分裏付けられず、起訴されなかったのであり、しかも本件横領の事実とは全く別個の事実であるから、これを本件業務上横領を起訴するための状況証拠とすることはできない。

したがって、被告の右主張は失当である。

(五) まとめ

以上検討したことを総合すると、本件横領を原告と共謀して行ったとするAの捜査段階での供述(特に同人の検面調書)は、起訴時の証拠関係に照らしても、前記のとおりの矛盾や解明されない箇所など不合理な点が多く存在したと認められ、再度同人を取り調べるなどして疑問点が解消されなければ、にわかに信用し難い供述といわざるをえなかった。また、同人の供述に沿うBの(捜査段階における)供述も、直ちに信用しうるものではなく、本件への原告の関与を認めたAの検面調書の供述を裏付ける証拠とはいえないものであった。仮に、同人の供述どおりであると考えると、Aが捜査機関に供述したことをそのころBにも話したにすぎないことになるから、Aの右供述を格別裏付ける証拠とはいえなくなる。そして、原告は、本件犯行を否認しており、原告の不利益供述も、原告の嫌疑を積極的に裏付けるようなものとまではいえなかった。

前記のとおり、原告の共謀の事実に関する直接の証拠は、Aの捜査段階における供述、特に同人の検面調書のみであるところ、本件の特徴は、同人が起訴時点において、既に病気のため再度の取調べや公判廷での供述が不可能な状態となっていたということであり、そうであれば、以上に検討した同人の供述の不合理な部分を解消することは、本件起訴の時点において既に不可能であったといわざるをえない。そして、Bの供述などAの供述を裏付ける証拠も不合理であったり、あるいは十分な裏付けとならないものであった以上、検察官としては、公訴提起をしても原告が有罪となる見込みはなかったと判断すべきであった。

したがって、本件横領の事実については起訴時における各種の証拠資料を総合勘案しても合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があったとは認め難く、本件公訴提起は、有罪判決を期待しうるだけの合理的根拠が欠如していたにもかかわらず、あえてなされたものであったと認められるから、違法というべきである。

三公訴事実第一の二(財産区と組合との間の昭和四六年七月六日付売買契約書に関する虚偽有印公文書作成)について

1  公訴事実第一の二(財産区と組合との間の昭和四六年七月六日付売買契約書に関する虚偽有印公文書作成)について、起訴時の証拠関係を概観すると、以下のとおりである。

(一) 起訴時に認定しえた客観的事実

起訴時における証拠関係、即ち、<書証番号略>(黒石営林署長作成の「捜査関係事項照会書について」と題する書面)、<書証番号略>(木村勝虎の検面調書)、<書証番号略>(原告の昭和五二年七月一三日付、同月一九日付各検面調書)、<書証番号略>(Bの昭和五一年四月二四日付、昭和五二年六月一〇日付、同年五月一二日付各検面調書)、<書証番号略>(Aの検面調書)、<書証番号略>(昭和四六年度主産物処分書類)、<書証番号略>(黒石営林署長と財産区管理者平賀町町長水木強二との間の昭和四六年六月七日付売買契約書)、<書証番号略>(昭和四六年度契約書綴)、<書証番号略>(<書証番号略>と同じ売買契約書)、<書証番号略>(佐藤英司の検面調書)、<書証番号略>(米沢正人の検面調書二通)、<書証番号略>(竹村繁太郎の検面調書)、<書証番号略>(昭和三六年度以降文書綴)、<書証番号略>(財産区管理者平賀町町長水木強二と米沢正人との間の昭和四六年七月六日付売買契約書)、<書証番号略>(領収書)、<書証番号略>(秋田相互銀行弘前支店作成の「捜査関係事項照会書についての回答致します。」と題する書面)、<書証番号略>(秋田相互銀行振出の小切手一通の任意提出書とその領置調書)、<書証番号略>(昭和四六年度元帳)、<書証番号略>(組合組合長水木強二と米沢正人との間の昭和四六年七月六日付売買契約書)、<書証番号略>(須藤衷和の検面調書)によると、以下の事実が認められた。即ち、

(1) 財産区は、昭和四六年六月七日、営林署から杉外立木一万三七〇九本(以下三及び四では「本件立木」という。)を代金一五八〇万円で随意契約により買受けた(なお右契約には、「この物件は予算決算及び会計令第九九条第二二号を適用して売払いしたものであるから立木のまま担保に供し又は他人に譲り渡してはならない。」との条件が付されていた。)。

(2) 本件立木についてもAが仲介することとなり、知人の木材ブローカーの佐藤英司から米沢木材こと米沢正人を紹介され、同人に本件立木を立木のまま代金一六五〇万円で売却することとなった。

(3) 昭和四六年七月六日ころ、平賀町町長室において、原告、米沢、A、佐藤英司及び当時平賀町出納室長であった竹村繁太郎が同席する中、本件立木の売買契約が締結された。竹村は、その際原告から指示を受け、自室において、本件立木について、財産区管理者平賀町長水木強二を売渡人とし米沢を買受人とする代金一六五〇万円の売買契約書と、財産区管理者平賀町長水木強二を売渡人とし組合監事斉藤洋を買受人とする代金一五八〇万円の売買契約書の二通を、それぞれ売渡人と買受人の住所、肩書、氏名部分を記載して作成し、何の押印もしないまま、当時財産区の事務を扱っていた平賀町総務課庶務係職員に渡した。

右売買契約書二通には、いずれも財産区管理者平賀町長水木強二名下に町長の職印が押されており、原告は、そのころ、右売買契約書二通の欄外に認印で決裁印を押した。

(4) 米沢は、昭和四六年七月一三日、右売買代金一六五〇万円を、秋田相互銀行弘前支店振出の同額面の小切手で支払い、右小切手は平賀町収入役により領収され、財産区の会計へ入金処理された。

(5) その後、右売買代金一六五〇万円のうち、①昭和四六年七月二六日に五四二万五〇〇〇円、②同月二七日に七〇万円、③同年八月一二日に二四七万五〇〇〇円が、それぞれ財産区から組合へ振替入金された。

(6) その後、Bが組合職員の須藤衷和に指示し、組合組合長水木強二を売渡人とし米沢を買受人とする代金一六五〇万円の昭和四六年七月六日付売買契約書を作成させ、米沢もBに呼び出されて組合事務所へ赴き、右契約書に押印し、原告も認印で決裁印を押した。

(7) そして、Bは、本件立木が財産区から組合へ一五八〇万円で売却され、組合から米沢へ一六五〇万円で転売されたようにするため、以下のような経理操作を行った。即ち、①前記(5)の①と②の入金を米沢からの売買代金の内金とするため前受金として記帳し、前記(5)の③の入金については、昭和四六年八月一一日付で組合が財産区との間で同金額の準消費貸借をしたようにして、これを短期借入金として記帳し、組合の昭和四六年度の決算日である昭和四七年六月三〇日付で、右の各入金をいずれも林産品売上に振り替えるとともに、転売代金の残額七九〇万円の林産品売上を計上した。そして、組合から財産区への売買代金一五八〇万円の支払いについては、同日付で七九〇万円を支払ったこととし、残額七九〇万円を財産区に対する事業未払金として計上した。

(二) 本件立木の真実の取引関係に関する関係者の供述

本件立木の米沢への売買が財産区から米沢への直接の取引であったのか、財産区から組合を経由した取引であったのかについて、関係者は、捜査段階において、要旨以下のとおり供述していた。

(1) 米沢正人(同人の検面調書二通・<書証番号略>)

原告は、町長室で契約をした際、私と財産区との間の代金一六五〇万円の売買契約書を作り、私はそれに判を押した。その際、原告は私に対し、「組合との関係でもう一通契約書がいるからそれにも名前を書いてくれ。」といい、組合が売主名義となっていて代金額が一六五〇万円よりも多い売買契約書をよこした。私が「この契約書は一六五〇万円ではないではないか。」というと、原告は、「組合との関係で作るだけであんたには何も関係ない。」というので、名前を書いて判を押した。

その後一か月位した後、私は、Aに呼ばれて組合事務所へ赴いたが、その際、Bから、組合が売主で代金が一六五〇万円の売買契約書を渡され、これはあなたには何も関係ないものなのだが、組合の方で必要なので、この契約書に判を押してくれ。」といわれ、自分に関係のないものならよいと考えて、判を押した。

私は、町長や組合の人の話を信用して、組合が売主名義の売買契約書に判を押したが、まさか不正なことに使われるとは思わなかった。

(2) A(同人の検面調書・<書証番号略>)

本件立木は、昭和四六年六月ころ、財産区が営林署から一五八〇万円で払下げを受けたものであり、原告から頼まれて仲介し、結局この取引は、財産区と米沢との間で契約が成立した。当時、私は、町長室で契約書が二通作られたことを知らなかったが、一週間位後、組合事務所で太田書記からこのことを聞き、財産区では立木のまま転売できないので、財産区から組合へ売ったことにして、組合と米沢との間の売買契約書を作ったと思った。またこうすれば、売買代金の半分を組合の運転資金にできるという利点もあったと思う。

(3) B(同人の昭和五一年四月二四日付、昭和五二年六月一〇日付、同年五月一二日付各検面調書・(<書証番号略>)

私は、昭和四六年当時、原告と感情的に対立して組合をやめるという気持ちであったため、昭和四六年七月の営林署から財産区への本件立木の払下げについては全く関与していなかった。町役場から昭和四六年七月二六日に五四二万五〇〇〇円、同月二七日に七〇万円が入ったが、何の金かわからなかったので、原告に問うと、原告は「大光寺官行造林の立木を米沢へ売った手数料と代金の一部で本町山林組合へ行く分だ。」と言った。組合の取引であれば林産品売上の科目に記帳するが、財産区と米沢との取引というので、経理上困ってしまい、仕方なく前受金として記帳した。そのころ原告に「組合と米沢は立木の取引をしていないから、代金の一部や手数料の組合の経理上の処理はできない。」と言ったところ、原告は「米沢とAを呼ぶから、その時組合と米沢との売買契約書を作れ。」と言った。

一、二か月位後、組合事務所に原告、A、米沢が来た。そして、原告が組合と米沢との本件立木の売買契約書を作れと言ったので、代金一六五〇万円の売買契約書を私が起案し、須藤に清書させた。また、原告に指示され、前記(一)の(7)のとおりの経理操作を行った。

昭和四八年三月組合を辞めた後、Aから、本件立木の取引は、財産区と米沢との直接取引であり、売買契約書は竹村が作ったが、代金額の違う二通の契約書を作ったと聞いた。いずれにせよ、本件立木は財産区が米沢へ売ったのであって、組合が売ったものではない。

(三) 共犯者竹村と原告の自白

そして、この点につき、共犯者とされた竹村と原告は、要旨以下のとおり供述し、本件虚偽公文書作成の事実を自白した。

(1)  竹村の自白(同人の検面調書・<書証番号略>)

本件立木に関する財産区と米沢との売買契約書(<書証番号略>)と財産区と組合との売買契約書(<書証番号略>)、いずれも私が書いたものであり、昭和四六年七月六日ころ、原告から言われて、私が出納室で書いたように記憶している。領収書(<書証番号略>)は平賀町の正規の領収書であり私が書いたものだ。

二通の売買契約書のうち、組合との契約書は虚偽であり、米沢宛の領収書があるので、町長と米沢との間の契約書が本当の契約書である。原告が私に嘘の契約書を書かせた理由は原告も言わなかったので当時はよくわからなかったが、私自身としては、財産区は営林署から払下げを受けた立木を直接木材業者等に売れないので、組合へ売ったという嘘の契約書を書かせたのだと思った。

(2)  原告の自白(原告の昭和五二年七月一三日付検面調書・<書証番号略>)

財産区が昭和四六年に国から払下げを受けた立木は、すぐ財産区が米沢に立木のまま転売したが、国から払下げを受けた時の売買条件に違反するので、それを隠すため実際は米沢に売ったのに、組合に売ったという売買契約書を作成させた。財産区が組合に本件立木を売ったという売買契約書は嘘の契約書である。領収書(<書証番号略>)は、米沢から財産区へ一六五〇万円支払われた領収書であり、これを見ただけでも財産区が米沢に本件立木を売ったことは間違いない。財産区と米沢との間の本物の売買契約書と財産区と組合との間の嘘の売買契約書はいずれも当時私が出納室長の竹村に書かせたものだ。組合と米沢との間の本件立木の売買契約書も嘘の契約書であり、組合は米沢に本件立木を売っていない。これら嘘の契約書二通にはいずれも私の決裁印(認印)が押してあるが、この認印は私自身が持って自ら決裁していたものだ。

2 まとめ

以上のとおり、本件立木の売買について、財産区と米沢との間の売買契約書と財産区と組合との間の売買契約書という内容の矛盾する二通の契約書が存在し、そのいずれか一方が虚偽である疑いがあったところ、本件立木売買契約の買主である米沢は、捜査段階では、真実の取引が財産区と米沢との直接の売買であることを前提とした供述をし、仲介者A及び経理操作を行ったBは、いずれも真実の取引が財産区と米沢との直接の売買であることを前提とした供述をし、仲介者A及び経理操作を行ったBは、いずれも真実の取引が財産区と米沢との直接の売買であると明確に供述していたのであり、右売買契約書二通を作成した竹村も、検察官に対し、財産区と米沢との間の売買契約書が真実の契約書であり、財産区と組合との間の売買契約書は虚偽である旨を自白し、原告自身も、検察官に対し、営林署からの払下条件違反を隠す目的で、原告が竹村に指示して財産区と組合との間の虚偽の売買契約書を作成させた旨述べ、本件虚偽公文書作成の事実を自白していたのであるから、右の証拠資料を総合勘案すれば、検察官が、米沢への本件立木の取引を財産区から米沢への直接の売買であったと認定し、財産区と組合との間の昭和四六年七月六日付売買契約書を内容虚偽の文書と判断したことは合理的であったというべきである。

そして、本件売買契約書の内容、形式、原告らが述べていた使用目的等を総合すれば、原告に行使の目的があったとの検察官の認定も合理的であったというべきである。

したがって、公訴事実第一の二(財産区と組合との間の昭和四六年七月六日付売買契約書に関する虚偽有印公文書作成)については、本件公訴提起の時点における証拠関係を総合勘案すれば、有罪判決を期待しうるだけの合理的根拠があり、合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑(客観的嫌疑)があったと認められるから、検察官の右公訴提起について違法性があったとは認められない。

3 以下、本件公訴提起の違法性についての原告の主張(争点一の1(二))について、検討する。

(一) 従前の官行造林処分の実態と組合の赤字解消策など(原告の主張(1))について

前記認定のとおり、営林署から払下げを受けた官行造林の売買は、昭和四二年から昭和四六年までの継続事業であったところ、<書証番号略>によれば、昭和四二年から昭和四四年までは財産区が組合に伐採を委託し、組合が立木を伐採して丸太として販売してきたが、昭和四五年と昭和四六年はより多くの利益を上げるため、払下条件に違反することを承知のうえで、立木のままこれを転売することとしたこと、右事業の目的は、財産区が組合の協力を得て民間の業者に払下げを受けた官行造林を売却し、それによって得られる利益を使い当時多額の負債を抱えていた組合の赤字を解消(減少)させることにあったこと、また、原告は、刑事事件の公判廷において、原告の主張(1)のように、財産区と米沢との間の売買契約書が過誤により作成された旨の供述をするに至ったことが認められる。

しかしながら、<書証番号略>(原告の昭和五二年七月一二日付検面調書)によると、原告は、捜査段階において、官行造林の処分による組合の赤字解消策として、財産区に帰属した金を組合が借り受け、これを運営資金として事業を行って利益を上げる方法なども述べていたのであり、証人Mの証言によると、M検事は、組合の赤字解消策として右のような方法があるから、必ずしも組合を経由して取引をする必要性はなかったと判断したものと認められるから、官行造林の払下事業の目的が組合の赤字解消にあったとしても、これをもって、検察官が起訴の時点において、組合を経由した取引が真実であると直ちに断定すべきであったとまではいえない。

また、前記一で述べたとおり、公訴提起の違法性は、公訴の提起時において、検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料によって判断すべきであるところ、原告は、公判段階に至って初めて原告の主張(1)のような弁解をしたのであり、原告は捜査段階では本件犯行を自白していたこと(なお、原告の自白の証拠価値については後記(四)のとおりである。)、竹村も本件犯行を自白し、財産区と米沢との間の売買契約書と財産区と組合との間の売買契約書は原告の指示どおりにメモをして書いたと述べており(竹村は、刑事公判廷及び本件訴訟においても、右売買契約書二通は原告の指示どおり書いた旨述べている。<書証番号略>、証人竹村の証言)、原告の指示を誤って理解して財産区と米沢との間の売買契約書を作ったとは考えにくかったことなどに鑑みると、公訴提起時において、検察官に原告の右弁解を前提とした捜査を期待することはできなかったというべきであるから、これを本件公訴提起の違法性の判断資料とすることはできない。

(二) 売買代金の会計上の処理(原告の主張(2))について

前記認定のように、財産区に入金された立木の売買代金の一部の組合会計への振替や組合と米沢との間の売買契約書の作成は、いずれも事後的になされたものであるから、検察官が前記1で掲げた証拠関係に照らし、右売買代金の組合会計への振替などは、組合に利益を帰属させるための単なる事後的な会計処理に過ぎず、取引の実態を反映するものではないと判断した(証人Mの証言によると、M検事も概ね右に述べたような判断をしたものと認められる。)としても、直ちに不合理であったとはいえない。

(三) 売買の相手方に対する米沢の認識等(原告の主張(3))について

米沢は、刑事第一審において、「山の所有者が財産区でも町でもよかった。私は山が欲しかった。」と述べており(<書証番号略>)、その検面調書(<書証番号略>)でも、「町長」とか「町」と契約したと述べている部分が多く存在する。また、<書証番号略>(証人佐藤英司の証人尋問調書)及び<書証番号略>(同人の検面調書)によると、本件立木の売買を仲介した佐藤英司は、本件立木が財産区のものであるか、組合のものであるか、はっきり分からなかったと述べており、契約の相手方当事者を明確には認識していなかったことが認められる。

しかしながら、米沢は、検面調書(<書証番号略>)において、本件立木の取引については財産区との売買契約書を作成したと明確に述べていたのであり、契約のとき作成された組合と米沢との間の売買契約書(代金が一六五〇万円より多いもの)は原告から自分(米沢)とは関係のないものであると言われて押印したものであり、契約の後に作成された組合と米沢との間の売買契約書(代金一六五〇万円のもの)もBから同様に自分(米沢)とは関係のないものであると言われて押印したものであると述べていたのであって、右供述によれば、米沢は、財産区との売買契約書が真実のもので、組合との売買契約書は自分(米沢)とは関係のないもの、即ち真実の売買契約書ではないとの前提で、供述をしていたものと認めることができる(なお、米沢は、刑事第一審及び本件訴訟でも、右契約締結当時売主は財産区であると考えていた旨述べている。)。そして、米沢は昭和四〇年ころから木材業者をしていたものであり(<書証番号略>)、本件立木取引の代金額は一六五〇万円と多額であったことから、買主である米沢が売主を明確に認識していなかったとは通常考えにくいことなどを併せて考えると、検察官が公訴提起時において、米沢が財産区と組合との区別をしていて、右契約の相手方を財産区と考えていたと認定したとしても、やむをえなかったというべきである。

また、<書証番号略>(水木修一の昭和五二年六月七日付検面調書)によると、財産区には専従職員はおらず、財産区の事務は平賀町役場の総務課が扱っており、財産区の事業は便宜上組合の職員を使うこともあったことが認められる(証人Mの証言によると、M検事もこのような実態の認識は有していたと認められる。)が、財産区と組合は法的主体が別個の組織であるから、検察官が本件立木に関する各売買契約書の真偽を判断するに当たり、両者が別個の組織であることを前提としたことが、不当とはいえない。

(四) 動機(原告の主張(4))について

原告の主張(4)については、刑事第一審判決(<書証番号略>)も同旨の指摘をしており、本件犯行の動機が払下条件違反の隠蔽であったとすることには疑問もある。

しかしながら、M検事は、本件訴訟の証人尋問において、「財産区は昭和四二年から昭和四四年にかけて、払下げを受けた官行造林の伐採を組合に委託し、丸太として組合を通じ転売していたから、組合を経由した取引の形態をとっていれば、後に払下条件違反が議会等で問題とされても、昭和四四年までと同様に組合を通したとの言訳ができると考えた。また、真実の取引である米沢との売買契約書を作成しておかないと、税の申告や税務調査の際不都合が生じる可能性があるので、真実の契約書と虚偽の契約書を作っておき、立木のままの転売が問題となった場合には財産区と米沢間の売買契約書を破棄するつもりだったと考えた。」と述べているところ、右検察官の説明は一応の合理性が認められ、加えて前記1で認定した証拠関係、特に原告を含めた複数の関係者が財産区と組合間の契約書を作ったのは払下条件を隠すためであると述べていたことに照らすと、検察官が公訴提起にあたり、動機に関して右のような判断をしたとしても、直ちに不合理であるとまではいえない。

(五) 原告及び竹村の自白調書の証拠価値(原告の主張(8))について

<書証番号略>(原告の被告人質問調書)及び<書証番号略>(竹村繁太郎の証人尋問調書)によると、原告及び竹村は、検察官の取調べに当たり、財産区と米沢間の売買契約書と財産区と組合間の売買契約書及び米沢が財産区に代金を支払った旨の領収書(<書証番号略>)を示され、いずれの売買契約書が虚偽であるか供述を求められ、検察官に誘導されて供述をした旨原告の主張(8)に沿う供述をしている。また証人Mの証言によると、M検事も、原告及び竹村の各取調べに当たり、右売買契約書二通を示し、その整合性を説明するよう求めたところ、竹村は財産区と組合間の売買契約書は嘘だと認めたが、原告は黙っていたので、右領収書を示し、これらを比較したらどれが虚偽であるかわかるだろうと言ったところ、原告も財産区と組合間の売買契約書が嘘だと認めたと述べている。そして刑事第一審判決(<書証番号略>)では、右領収書を示しながら二通の売買契約書のうちいずれが虚偽であるかの供述を求められれば、その限りでは財産区と組合間の売買契約書を虚偽と答えるほかないから、右供述をもっていずれの売買契約書が虚偽であるかの判断と結び付けるのは相当ではないと判断されたことが認められる(したがって、M検事の取調べは、結果的に右自白調書の信用性に疑いを生じさせたという点では、最善の取調方法がとられたとはいえない。)。

また、原告は、本件訴訟の本人尋問において、M検事が原告の取調べに際し「田中角栄総理大臣をぱくった人はわしの友人である。田舎の町長くらいは朝飯前にやる。」とか「逮捕するぞ。」などと言ったと述べており、竹村も、本件訴訟の証人尋問において、M検事の取調べの際、調書の記載内容に異議を述べたところ、M検事が立ち上がり大声で「黙れ。黙れ。」と言ったと述べている。

しかしながら、検察官が原告や竹村の取調べに際し、前記売買契約書二通と前記領収書を示し、いずれの売買契約書が虚偽であるか問うたとしても、取調べを受けた原告と竹村はその作成に関与し、事情を良く知っていたはずであるから、右売買契約書二通が作成された経緯について説明し、刑事公判において主張したような弁解をすることもできないわけではないから、右のような取調方法が直ちに違法・不当なものとなるわけではない。

また、原告の取調べは身柄不拘束の状態で行われたものであり、原告は、刑事事件第一審において、原告の検面調書三通(<書証番号略>)について、「調書には自ら署名・押印した。調書の読み聞けを受け、訂正をしてもらった箇所もある。検察官に異議を述べたことはなかった。」と述べていること(<書証番号略>)、原告の検面調書は、公訴事実第一の業務上横領については一貫して嫌疑を否認し、自己の言い分を述べた内容となっていることが認められ、以上によると、原告の検面調書三通の供述は任意にされたものと認められる。竹村の取調べも身柄不拘束の状態で、しかも一回(取調時間約四〇分から五〇分)だけなされたものであること(証人竹村の証言)、同人は、刑事事件第一審において、検面調書に自ら署名・押印したことは認めていたこと(<書証番号略>・なお同人は、財産区と組合間の売買契約書が嘘であると記載された部分は、読み聞けを受けていないと述べながら、この部分については検察官から読み聞けを受けて異議を述べたとも述べ、矛盾した供述をしており、この点に関する竹村の供述部分は必ずしも信用できない。)が認められ、以上によると、竹村の検面調書の供述についても任意にされたものと認められる。

原告及び竹村の取調及び同人らの供述の状況は右認定のとおりであり、そうすると、検察官が原告及び竹村の検面調書を公訴提起をするか否かを判断するための証拠資料としたことは、許されるというべきである。

(六) その他(原告の主張(5)ないし(7))について

原告の主張(5)(財産区の組織、議決及び執行方法)及び(7)(立木の処分に関する組合理事会の承認)はそれ自体、本件公訴提起の適否を判断するに当たり、直接の関係はない事項というべきであり、また前記のとおりBは昭和四六年七月ころは長期欠勤中で本件立木の売買には関与していないから、原告の主張(6)(Bの独断専行及びAとの関係)も本件公訴提起の適否とは関係がない。

以上のとおり、原告の主張(5)ないし(7)はいずれも失当である。

四公訴事実第二(財産区と組合との間の昭和四六年七月六日付委託販売契約書に関する虚偽有印公文書作成の罪)について

1 公訴事実第二(財産区と組合との間の昭和四六年七月六日付委託販売契約書に関する虚偽有印公文書作成)について、起訴時の証拠関係を概観すると、前記三の1で認定した事実及び証拠関係に加え、以下のとおりの事実及び証拠関係が認められる。

(一) 起訴時に認定しえた客観的事実

起訴時における証拠関係、即ち、<書証番号略>(原告の昭和五二年七月一三日付検面調書)、<書証番号略>(昭和四六年度契約書綴)、<書証番号略>(斉藤洋の検面調書二通)、<書証番号略>(水木修一の昭和五二年六月七日付検面調書)、<書証番号略>(芳賀幸治の検面調書三通)、<書証番号略>(太田由紀子の検面調書三通)、<書証番号略>(太田国昭の昭和五二年六月八日付、同年七月八日付、同月一六日付各検面調書)によると、次の事実が認められる。

(1) 昭和四九年秋か昭和五〇年ころ、平賀町町議会において、野党の加藤東一郎議員などから、原告や当時平賀町町議会議員でもあった組合専務の芳賀幸治(以下「芳賀」という。)に対し、組合の総会の資料では財産区から組合への取引は委託となっているのに、本件立木に関する財産区と組合間の昭和四六年七月六日付契約書(<書証番号略>)が売買となっているのはなぜかなどの質問がなされた。

(2) 芳賀は、議会で右のような質問がなされたことを契機として、同人の姪で当時組合の事務員であった太田(当時芳賀)由紀子に指示をして、組合事務所において、右売買契約書を見本として、契約書の表題を「委託契約書」に、「売買物件所在地」を「委託物件所在地」に、「受渡人」「買受人」をそれぞれ「委託人」「受託人」に変えた財産区管理者平賀町町長水木強二と組合監事斉藤洋との間の昭和四六年七月六日付委託契約書(<書証番号略>)を作成させ、自ら原告のもとに右委託契約書を持参して、原告から決裁印を得た。なお、芳賀は、その際、本件立木の米沢への処分に関与した者らに取引の実態について事情を聞くなどはしなかった。

(3) 委託契約書には、印紙が貼られ、原告の決裁印の他、財産区管理者平賀町町長水木強二名下と印紙の割印として町長の職印が押されており、また組合監事斉藤洋名下には組合事務所に保管されていた斉藤名の印が押されていたが、斉藤名の印は斉藤には無断で押されたものであった。また、右委託契約書は、組合が保管していた「昭和四六年度契約書綴」(<書証番号略>)に綴られていたが、それまで右綴りに編綴されていた財産区と組合間の売買契約書(<書証番号略>)は、右綴りから取りはずされていた。

(二) 共犯者芳賀の供述(<書証番号略>)

本件の共犯者とされた芳賀は、捜査段階において、「昭和四九年秋か昭和五〇年九月ころ、太田由紀子に委託契約書を書かせた。当時、加藤東一郎町議から(前記(一)のような)追及を受けたが、加藤町議の資料では委託事業となっていたし、財産区が随意契約で払下げを受けた立木は転売できないことを知っていたので、売買契約書は間違いで、委託契約書が本当だと思った。それで、私は、原告に昭和四六年七月六日付売買契約書は委託契約書として書くのが本当だと見せるためこれを書かせた。委託契約書を書かせてから、私が収入印紙を貼って原告のところへ持っていき決裁を受けた。その後、委託契約書を町役場の総務課の係の人に見せ、町長の名前と印紙のところに町長の職印を押してもらった。斉藤監事の印は、私が組合事務所にあった斉藤名の判で押印したもので、斉藤の了解をとらずに勝手にやった。委託契約書を組合の契約書綴に綴っておくつもりはなく、捨てるつもりだった。」と述べ、委託契約書の作成については認めたが、虚偽性の認識及び行使の目的などについては否認した。

(三) 原告の自白(<書証番号略>)

原告は、本件委託契約書についても、捜査段階において以下のように述べ、本件犯行を全て自白した。即ち、「本件委託契約書は嘘の書類であり、私が決裁印を押している。この書類は、昭和四九年秋か昭和五〇年九月ころ、組合専務理事の芳賀から、町長室へ来て、嘘の書類を作っておいたほうがいいのではないかと相談を受け、私もそう思い決裁したものである。平賀町では昭和四九年一一月の町長選挙の前に私が官行造林の立木を転売していることが噂となり、選挙で反対派が私の攻撃材料とし、その後昭和五〇年九月の議会で野党の原田忠太郎町議が立木の転売問題を取り上げた。芳賀は、昭和四九年の秋か昭和五〇年九月ころに、立木の転売問題が知れて私の町長としての立場がなくなると困ると思ってこのような相談をしてきたのだと思う。嘘の委託契約書を作成させたのは、転売できない立木を転売したので、それを隠すためである。」

2  まとめ

前記三で検討したとおり、公訴提起時の証拠関係を総合勘案すると、米沢への本件立木の取引は、財産区から米沢への直接の売買であり、これに沿う財産区と米沢との間の昭和四六年七月六日付売買契約書が真実の契約書であるとの検察官の認定は合理的と考えられるところ、右1で認定した事実及び証拠関係によると、M検事が、本件委託契約書は、原告及び芳賀が、平賀町議会において、野党議員から「組合総会の資料では委託事業とされているのに、組合と米沢との間の本件立木の売買契約書が存在するのはなぜか。本来転売できない本件立木を原告らが転売しているのではないか。」などの追及を受け、営林署から払い下げられた立木は立木のまま転売してはならないという払下条件に違反して、立木のまま処分したことを隠蔽するため、行使の目的をもって事後的に内容虚偽の委託契約書を作成したと認めたことは合理的であったというべきである。

前記のように、芳賀は、本件委託契約書の作成については認めたものの、虚偽性の認識及び行使の目的などについては否認していたが、芳賀が組合専務になったのは昭和四八年三月であり、本件立木の米沢への処分にはなんら関与しておらず、その取引の実態を知らなかったにもかかわらず、本件取引に関与した者から取引の実態について事情を聞くこともなく、日付を遡らせて本件委託契約書を作成させていること、本件委託契約書作成にあたり、受託人の代表者となる組合監事の斉藤洋から承諾を得ないで、同人名義の文書を作成したこと、右のような本件委託契約書を作成するに至った動機や背景を併せて考慮し、また、本件委託契約書には収入印紙が貼られ、町長の職印や原告の決裁印、組合に保管されていた組合監事斉藤名義の印が押されていたこと、本件委託契約書が昭和四六年度契約書綴に綴られていたことなどに照らすと、公訴提起時の証拠関係から検察官が、芳賀は本件委託契約書の虚偽性を認識し、行使の目的があったと判断したことも合理的であった。

以上のとお、本件公訴事実第二(財産区と組合との間の昭和四六年七月六日付委託契約書に関する虚偽公文書作成)についても、本件公訴提起時の証拠関係を総合勘案すると、有罪判決を期待しうるだけの合理的根拠があり、合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑(客観的嫌疑)があったと認められるから、検察官の右公訴提起について違法性があったとは認められない。

3 以下、本件公訴提起の違法性に関する原告の主張(争点一1(三))について、検討する。

(一) 犯行日時の特定(原告の主張(1))について

刑事第二審判決(<書証番号略>)が詳しく説示するように、本件委託契約書の作成日は本件全証拠をもってしても、未だに解明されていないというほかはない。即ち、<書証番号略>(証人成田勇作の証人尋問調書)、<書証番号略>(本件委託契約書の任意提出書及び領置調書)によると、本件委託契約書が綴られていた組合の昭和四六年度の契約書綴が警察に任意提出されたのは昭和五〇年二月一五日であり、また本件委託契約書に貼られていた符せんは担当の警察官(成田勇作)が昭和五〇年三月に他の署へ転勤する前に作成したものであることが認められるから、そうだとすると本件委託契約書は、昭和五〇年二月一五日以前に作成されたものであると考えられることになる。ところが、反面本件委託契約書の作成は、前記のように、平賀町議会における野党議員からの財産区と組合間の取引が売買なのか委託なのかなどに関する質問が契機となってなされたものであるところ、<書証番号略>(平賀町議会の昭和四九年一二月、三月、六月及び九月の各会議録)及び<書証番号略>(証人古川孝の証言)によると、議会でそのような質問が具体的になされたのは、昭和五〇年九月の議会であると認められ、そうだとすると本件委託契約書はそのころ作成され、後になんらかの事情で何人かが捜査官に提出し、これが右契約書綴に綴り込まれた可能性も残るからである。

しかしながら、犯行の日時は、それが犯罪を構成する要素となっている場合を除き、本来は、罪となるべき事実そのものではなく、訴因を特定するための一手段として、できる限り具体的に表示すべきことを要請されているのであるから、犯罪の種類、特質等の如何により、これを詳らかにすることができない特殊事情がある場合には、裁判所に対する審判の対象を特定し、被告人に対し防御の範囲を示すという法の目的を害さない限り、犯行日時が具体的に詳しく表示されていないとの一事をもって罪となるべき事実を特定しない違法があるとはいえない(最高裁昭和三七年一一月二八日大法廷判決・刑集一六巻一一号一六三三頁参照)。本件では、本件委託契約書の作成に関与した原告、芳賀及び太田由紀子は、前記のようにいずれもその作成日につき昭和四九年秋ころか昭和五〇年九月ころと曖昧な供述をなすにとどまっていたこと、前記のように本件全証拠を検討しても、なお作成日の具体的な表示は困難であることなどを考え併せると、訴因を犯行場所、犯行の手段・方法、作成された文書の内容等により具体的に特定し、犯行日時はある程度幅をもった特定にとどめたとしても、やむをえなかったというべきであり、具体的な日時を特定できなくても、捜査が杜撰であったとはいえず、このようにしてなされた公訴提起が違法であるということはできない。

そして、証人Mの証言によると、M検事は、当初は当時の平賀町農林課長水木修一の供述(<書証番号略>)などから、原告らが本件委託契約書を作成する契機となった野党議員等の質問が昭和五〇年九月ころ行われたと認定し、これを重視して本件委託契約書の作成日を昭和五〇年九月ころと判断し、公訴事実第二のとおり公訴提起をしたことが認められ、その後、審理の過程で、前記のような本件委託契約書が綴られていた昭和四六年度契約書綴の任意提出日を重視して、本件予備的訴因の変更請求を行ったものと認められるのであって、右の手続にも何らの違法はなかったというべきである(刑事第一審及び第二審各判決も、変更請求を受けた予備的訴因について、いずれも審判の対象は特定されており、訴因の予備的変更には違法はないと判断している。)。

(二) M検事の捜査懈怠(原告の主張(2))について

刑事第二審判決(<書証番号略>)が指摘するように、組合の事業報告書には、組合の事業報告として、「官行造林立木伐木造材丸太受託販売」などの語が用いられており、また営林署長宛の右各書面(<書証番号略>)にも、「伐採作業については平賀町森林組合に委託し」などと記載されていること、<書証番号略>(昭和五〇年六月及び九月の平賀町町議会会議録)によると、加藤町議も財産区と組合との取引は委託販売であることを前提として質問をしていることが窺われ、これらの事実が刑事事件第二審の無罪判決の理由の一つとされたことが認められる。

しかしながら、組合の事業報告書や営林署長宛の右各書面に記載されているからといって、直ちに実際に行われた米沢への立木の処分に関する財産区と組合との関係が委託販売契約であると断定しうるわけではなく、また、証人加藤東一郎の証言によると、加藤町議は資料等を十分検討し、本件取引の実態を正確に理解したうえで右のとおり質問をしたわけではないことが認められるから、右事実のみをもって、直ちに本件委託契約書に関する虚偽公文書作成について、有罪判決を期待しうる合理的根拠が失われたとまではいい難い。

(三) 動機(原告の主張(3))について

委託販売であっても、立木のままの処分であるから、立木のまま処分してはならないという営林署からの払下条件に違反したことを隠蔽するという検察官の動機の理解には、原告主張(3)のような疑問があり、刑事第二審判決(<書証番号略>)でも、この点が無罪判決の理由の一つとされていることが認められる。

しかしながら、前記認定のとおり、財産区は、昭和四二年から昭和四四年にかけて、営林署から払下げを受けた官行造林につき組合に立木の伐採を委託して丸太にし、これを組合を通じて業者に販売していたのであり、原告及び芳賀は、議会において野党議員から「組合総会の資料では委託事業となっているのに、財産区と組合間に立木の売買契約書があるのはなぜか。」などの質問を受けたことを契機として、本件委託契約書を作成したものであることなどに鑑みると、検察官が本件犯行の動機を、財産区と組合との間の委託契約書を作成しておけば、前年度と同様の処理をしたとの言い逃れをすることができると考えたものと認定したとしてもやむをえなかったというべきであり、右動機に関し原告の主張(3)のような疑問があったとしても、直ちに有罪判決を期待しうる合理的根拠が失われたとはいえない。

(四) 原告の自白調書及び芳賀の供述調書の証拠価値(原告の主張(4))について

原告の自白調書を公訴提起の判断資料とすることが許されることは、前記三3(五)で述べたとおりであり、また、芳賀の検面調書三通の供述は、前記1(二)のとおり、委託契約書の作成については認めたものの、虚偽性の認識及び行使の目的などを否認し、自己の言い分を通したものであって、任意になされたものと認められ、右取調状況の下で作成された供述調書を公訴提起の判断資料とすることも何ら妨げられないというべきである。

以上の次第であるから、原告の主張(1)ないし(4)はいずれも失当である。

五以上に検討したとおり、公訴事実第一の一(業務上横領)についての公訴提起は検察官の過失に基づく違法な起訴であり、公訴事実第一の二(財産区と組合との間の昭和四六年七月六日付売買契約書に関する虚偽有印公文書作成)及び公訴事実第二(財産区と組合との間の昭和四六年七月六日付委託契約書に関する虚偽有印公文書作成)についての各公訴提起にはいずれも違法性は認められない。

したがって、被告は、原告に対し、国賠法一条一項に基づき、公訴事実第一の一(業務上横領)についての公訴提起により原告が被った損害を賠償すべき義務がある。

六損害

1  慰謝料

前記第二事案の概要(無罪判決確定に至る経緯等)の五のとおり、原告は、本件公訴提起により、起訴の日である昭和五二年七月二二日から控訴審の判決がなされた昭和六一年六月一七日までの約九年間、被告人の地位にあったが、このうち、公訴事実第一の一の業務上横領の訴因について審理がなされたのは、第一審無罪判決がなされた昭和五九年九月二〇日までの約七年二か月である。そして、この間、適法な公訴提起と認められる公訴事実第一の二及び第二の各虚偽有印公文書作成に関する審理と、業務上横領に関する審理とは同程度なされたものと認められるが、業務上横領の訴因につき起訴されなければ、審理の期間は相当程度に短縮されたものであり、かつ、業務上横領の訴因が起訴されたことにより、原告は平賀町町長などとして有していた社会的な信用を害されたことが認められる。

したがって、原告は、被告に対し、その精神的苦痛に対する慰謝料を請求することができるというべきであり、その額は、以上認定の諸般の事情を総合考慮すると、五〇万円が相当である。

なお、原告は、本件公訴提起により昭和五三年一一月一二日に実施された平賀町町長選挙に落選したと主張し、右町長選挙落選による精神的苦痛に対する慰謝料をも請求するが、町長選挙は、各候補者の政策、それまでの実績、議会における各会派の勢力比、選挙運動の成果など、複雑な要因のもと、最終的にはこれらに対する有権者の評価と選択によって決せられるものであること、本件公訴提起は、公訴事実第一の一の業務上横領についての起訴は違法であったが、その余の公訴事実についての起訴は違法とはいえないこと、原告は既に三期町長を務め、在任期間が長くなったと考える者もいたこと(証人今井義盛、同加藤東一郎の各証言)などの認定事実を総合すると、公訴事実第一の一の業務上横領について起訴されたことと、原告が右町長選挙で落選したことの間には、相当因果関係が認められないから、この点に関する慰謝料の請求は理由がない。

2  弁護士費用

原告が、本件刑事事件につき、第二東京弁護士会所属の野瀬高生弁護士及び東京弁護士会所属の西村雅男弁護士を弁護人として選任したこと、両弁護士が、昭和五二年一〇月三一日の第一審第一回公判期日から昭和五九年三月二二日の第一審第四〇回公判期日まで、合計一八回(野瀬弁護士一二回、西村弁護士六回)にわたり公判期日に出頭したことは、いずれも当事者間に争いがない。

また、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、原告は、野瀬弁護士に対し、刑事事件の着手金として一〇〇万円を支払ったこと、野瀬弁護士及び西村弁護士に対し、それぞれ一回の公判期日の出頭ごとに八万円を支払い、無罪判決の成功報酬として合計一〇〇万円を支払ったことが認められる。

ところで、原告が被告に対し、刑事事件の弁護士費用としてその賠償を請求しうるのは、公訴事実第一の一の業務上横領の公訴提起と相当因果関係のある損害に限られるところ、右業務上横領に係る刑事事件の事案の内容、難易度等に鑑みると、原告が右事件について私選弁護人として右弁護士二名を選任したことはやむをえなかったと考えられるが、本件業務上横領罪及び公訴事実第一の二と第二の各虚偽有印公文書作成罪の各事件の内容、難易度、公判審理の経過及び判決の内容その他本件に現れた諸般の事情を総合すると、原告が両弁護士に支払った金額のうち、公訴事実第一の一の業務上横領の公訴提起と相当因果関係にある損害額は、七〇万円であると認められる。

七よって、原告の本訴請求は、損害賠償金一二〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六一年一〇月二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由がある。なお、仮執行宣言の申立は、相当でないからこれを却下する。

(裁判長裁判官長谷川誠 裁判官田村眞 裁判官三角比呂)

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